

スキームを変えるだけで、M&A価格が1億円以上あがることがあります。
「のれん」という言葉は、M&Aの場面でよく耳にします。しかし、税務上ののれんと会計上ののれんは、同じ「のれん」という名称でありながら、計算式も発生タイミングも根本的に異なります。この違いを混同したまま財務分析やM&A交渉に臨むと、価格評価に大きなミスが生じます。
会計上ののれんは、取得対価から「会計上の時価純資産(識別可能資産・負債を時価評価した後の純額)」を引いた差額です。M&Aの対象が会社(株式取得)でも事業でも発生し、日本基準では20年以内の一定期間で均等償却されます。問題なのは、この会計上ののれん償却費は、たとえ損益計算書に計上されていても、原則として税務上は「なかったもの」として課税所得に足し戻されてしまうという点です。つまり、のれん償却費は税務上の費用(損金)にならないのです。
税務上ののれんは、正式名称を「資産調整勘定」といい、法人税法上で規定された概念です。非適格組織再編(非適格合併・非適格分割など)や事業譲渡といった、限られた取引において発生します。計算式は「取得対価から税務上の時価純資産を差し引いた差額」であり、会計上ののれんとコンセプトは似ていますが、使用する時価純資産の算定基準が異なります。これが原則です。
差異が生じる大きな理由のひとつが、繰延税金資産の扱いです。会計上ののれんを計算するときは、繰延税金資産をはじめとするあらゆる経済価値を時価純資産に算入しますが、税務上ののれんを計算するときは繰延税金資産を一切無視します。これにより、同じM&Aでも会計上ののれんと税務上ののれんの金額が大きく乖離することがあります。
| 比較項目 | 会計上ののれん | 税務上ののれん(資産調整勘定) |
|---|---|---|
| 発生する取引 | M&A全般(株式取得・事業取得) | 非適格組織再編・事業譲渡のみ |
| 償却期間 | 20年以内(会社が設定) | 60カ月(5年)月割均等償却・法定 |
| 損金算入 | ❌ 原則不可 | ✅ 可能 |
| 税効果認識 | ❌ 認識しない(適用指針72項) | ✅ 繰延税金資産を計上 |
| 負のケース | 負ののれん→発生時即時益金計上 | 差額負債調整勘定→60カ月で益金算入 |
特筆すべきは、税務上ののれん(資産調整勘定)には損金経理要件がないという点です。通常の減価償却資産は、損益計算書上で減価償却費を計上していなければ税務上も損金にできません。しかし資産調整勘定は、会計上でのれん償却をしていなくても、そもそも会計上ののれんが発生していなくても、60カ月の均等償却が法的に自動的に進んでいきます。これは意外ですね。
参考:会計上ののれんと税務上ののれんの違いを表形式で整理した解説ページです。
いまさら聞けない「のれん」のあれこれ【後編】 | マクサス・コーポレートアドバイザリー
税務上ののれんは、すべてのM&Aで発生するわけではありません。むしろ、日本で最も多く行われている「単純な株式譲渡」では、税務上ののれんはまったく発生しません。これが、M&Aに慣れていない担当者がよく見落とすポイントです。
税務上ののれんが発生し、損金算入・繰延税金資産の計上が可能になるのは、以下の取引に限られます。
では、なぜ損金算入できる税務上ののれんが節税に繋がるのでしょうか。税務上ののれんは60カ月(5年)の月割均等償却で損金算入されます。仮にM&Aで税務上ののれんが6億円発生した場合、毎月1,000万円(年間1億2,000万円)が損金として課税所得から差し引かれます。法人税率を約34%とすると、6億円×34%=約2億400万円の節税効果になります。つまり2億円です。
この節税効果には確実な経済価値があるため、繰延税金資産として貸借対照表の資産に計上されます。繰延税金資産の計上により純資産が増加し、それを反映したM&A価格もアップするという流れです。税務上ののれん → 繰延税金資産 → 純資産増加 → M&A価格上昇、という連鎖が働きます。
さらに高度な話をすると、M&A価格が上がると税務上ののれん自体も増えてしまいます。なぜなら、税務上ののれんの計算式は「取得対価-税務上の時価純資産」であり、繰延税金資産は税務上の時価純資産に含まれないからです。取得対価が上がってもその分税務上ののれんが膨らみ、節税効果がまた増えるという循環計算が生まれます。この連鎖は最終的に収束し、最大で当初想定価格の約1.5倍まで引き上げられることがあります。これは使えそうです。
参考:のれんの節税効果が価格に与える影響を数値例付きで解説しています。
M&A価格が1.5倍にも!驚きの【のれんの節税効果】徹底解説 | STR
「会計上ののれんには税効果を認識しない」というルールは、実務に携わる人でも意外と理由を知らない人が多いです。ここを正確に理解しておくと、財務諸表を見るときの解像度が上がります。
企業結合会計基準及び事業分離等会計基準に関する適用指針72項では、「のれん(又は負ののれん)は取得原価の配分残余であるため、のれんに対する税効果は認識しない」と規定されています。この「配分残余」という性格が、税効果を認識しない根拠になっています。
どういうことでしょうか? 会計上ののれんは「取得対価-識別可能な資産・負債の時価純資産」として計算される「残り物」です。もしここに税効果を認識して繰延税金負債を計上しようとすると、負債が増えた分だけ時価純資産が減り、のれんが同額増えてしまいます。のれんが増えるとまた税効果を計上しなければならず、また増え…という「無限ループ」に陥ります。これを防ぐために、のれんへの税効果認識は最初から禁止されているのです。
IFRSでも同様の考え方が採用されています(IAS12号21項)。「のれんは残余として測定されるものであり、繰延税金負債の認識はのれんの帳簿価額を増加させることになるからである」と明示されています。つまり日本基準とIFRSで、この点の取扱いは共通です。
一方、税務上ののれん(資産調整勘定)は、この問題が発生しません。なぜなら、税務上ののれんを増やしても会計上ののれんは連動して増えないからです。税務上ののれんは将来減算一時差異を生じさせ、回収可能性の範囲で繰延税金資産を計上します。この繰延税金資産の計上により会計上の時価純資産が増加し、結果として会計上ののれんが圧縮されます。これが、日本基準で推奨される「グロス処理」の考え方です。
連結財務諸表(子会社株式取得のケース)における取扱いも整理しておくと、連結調整上のれんに生じる一時差異には税効果を認識しません。適用指針では「子会社株式等の取得に伴い、資本連結手続上、認識したのれん又は負ののれんについて、繰延税金負債又は繰延税金資産を計上しない」と明記されています(適用指針72項)。連結のれんへの税効果認識は、単体でも連結でも禁止という原則です。
参考:日本基準の適用指針72項に基づくのれんの税効果の考え方を詳解しています。
のれんの税効果会計の考え方(日本基準、IFRS) | 上原FAS合同会社
M&Aを実行したときに必要になる「PPA(パーチェスプライスアロケーション)」の作業では、税務上ののれんと会計上ののれんが複雑に絡み合います。ここを正確に把握しないと、財務諸表の数字が実態とかけ離れたものになりかねません。
PPAとは、M&A対価(パーチェスプライス)を、取得した資産・負債・残余としてののれんに配分していく作業です。この過程で、BSに未計上だった無形資産(商標権・顧客関連資産・技術関連資産など)を識別・評価します。この無形資産の識別が、のれんの金額に想定外の影響を与えることがあります。
識別された無形資産は会計上では資産として計上されますが、税務上は通常、独立した資産とは認識されません。そのため無形資産は将来加算一時差異となり、繰延税金負債を計上する必要があります。ここが難しいところです。繰延税金負債が増えると負債が膨らみ、M&A対象の時価純資産が減少します。その分だけ「残余」であるのれんが増加するため、最終的なのれんの金額は「無形資産+のれん」の合計が当初の広義ののれんより大きくなる(無形資産に係る繰延税金負債の分だけ膨らむ)という逆説的な結果になります。
IFRSにおける税務上ののれんの税効果は、日本基準よりさらに難解です。日本基準では税務上ののれんは将来減算一時差異として一律に扱われますが、IFRSでは「会計上ののれんと税務上ののれんの関連性の強弱」によって会計処理が変わります。
また、会計上ののれん<税務上ののれん(つまり税務上ののれんのほうが大きい)のケースでは、IFRSはIAS12号32A項に基づき、差額を将来減算一時差異として繰延税金資産を計上します。このとき循環計算が生じるため、最終的な繰延税金資産は「(のれん関連税効果調整前の一時差異×税率)÷(1-税率)」で収束させる計算方法が実務上使われています。
もし自社のM&Aで税務上ののれんとPPAが複雑に絡み合う場合は、早い段階で公認会計士や税理士を交えた専門的なシミュレーションを行うことが不可欠です。試算なしで交渉を進めると、繰延税金資産の取り崩しタイミングで損益に想定外の影響が出ます。これは注意に注意が必要です。
参考:PPAで識別される無形資産に係る税効果会計の実務的な解説です。
クイックに理解する「PPAで認識される無形資産の税効果」 | bespoke pro
ここまでの解説は教科書的な内容が中心でした。このセクションでは、金融実務・M&A実務の場面で実際に役立つ「税務上ののれんを価格交渉に活かす思考法」を深掘りします。この観点は、会計・税務の基礎知識と価格交渉の場を繋ぐ重要な橋渡しです。
まず前提として確認しておくべきことがあります。税務上ののれんの節税効果は「買い手の法人税の減少」として発現します。節税分だけ買い手の手元キャッシュが多く残るため、買い手は同等の負担感のまま、より高い価格を提示できます。売り手にとっては、スキームを適切に選択するだけでM&A対価が上がる可能性があります。結論は「スキーム次第で売値が大きく変わる」です。
具体的なシミュレーションで考えてみましょう。たとえばのれんが10億円のM&Aを検討しているとします。
この差額は、たとえば同じ買い手が同じ事業に支払う場合でも3億円以上の開きになります。3億円分です。この事実を知らずに単純株式譲渡で交渉を進めると、売り手は本来の価値より大きく安値で売ることになりかねません。
実務上、注意すべきポイントが2つあります。
第一に、売り手の税負担の問題です。事業譲渡や非適格分社型分割は買い手に節税効果をもたらしますが、売り手側では事業譲渡益に法人税が課税されます。適用税率は通常の法人税率(約34%)になるため、株式譲渡(個人なら約20%の申告分離課税)と比べて売り手の手取りが減る場合があります。節税効果の恩恵を価格に反映してもらわないと、売り手が不利になるケースもあります。厳しいところですね。
第二に、のれんの節税効果のメリットは「M&Aアドバイザーがこの論点をどれだけ正確に理解しているか」に依存する部分が大きいです。税務・会計・バリュエーションの知識が融合した分野であるため、知識の浅いアドバイザーがいると、価格交渉の場でこの論点が俎上に載らないまま交渉が終わることもあります。
金融に携わる立場として、この「税務上ののれん×税効果×M&A価格」の連鎖を理解しておくことは、大きな意思決定ミスを防ぐことに直結します。買い手・売り手どちらの立場でも、シミュレーション計算を事前に行うことがリスク管理の第一歩です。また、M&Aアドバイザーや顧問税理士に対して、この観点から質問できるだけでも交渉力が格段に上がります。これだけ覚えておけばOKです。
参考:EY Japanによるのれんに対する税効果の実務Q&Aです。
会計上の「のれん」に対する当初認識後の税効果 | EY Japan
最後に、税務上ののれんと税効果に関して実務の現場で見受けられる「よくある誤解」と「実際の落とし穴」を整理しておきます。知識があっても適用を誤ると損失が生じます。
誤解①「株式取得でも税務上ののれんは出る」
株式取得(単純株式譲渡)では、税務上ののれん(資産調整勘定)はまったく発生しません。株式取得では買い手は「子会社株式」という資産を取得するにすぎず、対象会社の資産・負債を直接引き継がないためです。連結財務諸表にのれんが計上されても、それは会計上ののれんのみです。損金算入できると思い込んで株式譲渡で取引を完結させてしまうと、数億円単位の節税機会を失います。これは痛いですね。
誤解②「税務上ののれんが大きければ大きいほど良い」
税務上ののれんの損金算入は節税効果を生みますが、売り手側では同額の「事業譲渡益」等に課税が発生するケースがほとんどです。売り手の税負担を増やした分を価格に反映させなければ、節税効果を享受しているのは買い手だけになってしまいます。税務上ののれんの恩恵を双方にとって公平に反映した価格設定が重要です。これが条件です。
誤解③「税務上ののれんと会計上ののれんは償却期間が同じ」
会計上ののれんの償却期間は最大20年(会社が効果の及ぶ期間を設定)ですが、税務上ののれんは一律60カ月(5年)の月割均等償却です。会社が会計上のれんを15年で償却しても、税務上の資産調整勘定は5年で損金算入が完了します。これにより、5年間は会計と税務の損益に乖離が生じます。また、資産調整勘定には損金経理要件がないため、会計上の償却処理をしなくても税務上の償却は粛々と進行します。
実務上の落とし穴:繰延税金資産の取り崩しによる損益インパクト
税務上ののれんに係る繰延税金資産は、償却が進むにつれ取り崩されます。5年間かけて計上した繰延税金資産が毎期取り崩されると、「法人税等調整額」のマイナスとして損益計算書に影響を与えます。この取り崩しを見込んだ損益計画を立てていないと、M&A後の利益予測と実績に大きな乖離が生じます。特にのれんの金額が大きいケースでは、毎年の繰延税金資産取り崩し額が億円単位に達することがあります。M&A後の統合計画(PMI)の段階で、この税務インパクトを財務モデルに織り込んでおくことが必要です。
確認すべき判断チェックリスト
税務上ののれんと税効果の論点は、会計・税務・財務の3つの視点が絡み合う難解なテーマです。それだけに、正確な知識を持っている人とそうでない人の差が、数億円規模のM&A価格の差として現れることがあります。金融に携わる立場として、この仕組みを深く理解しておくことは、大きな武器になります。これはいいことですね。
参考:資産調整勘定(税務上ののれん)と会計上ののれんの詳しい違いをまとめた解説です。
資産調整勘定(税務上ののれん)と会計上ののれんの違い | LeverN