

自己株式の取得は、株主還元の一環として「株価が上がる」というシンプルなイメージで語られることが多いです。しかし実際には、株主側に予想外の課税が発生したり、会社側が法的リスクを負ったりと、知らないと損するポイントが多数あります。
自己株式とは、株式会社が一度発行して市場に出回った自社の株式を、自ら買い戻して保有する株式のことです。
「金庫株」と呼ばれることもあります。
かつての日本では、インサイダー取引や株価操縦への悪用を防ぐため、自己株式の取得は原則として法律で禁止されていました。転換点となったのは2001年の旧商法改正で、この改正によって無制限・無期限の自己株式保有が解禁されました。さらに2006年に商法が会社法へと改定され、現在では会社法155条に触れない限り原則として自由に取得できる状態となっています。
注意したいのは、自己株式には議決権などの「共益権」は認められないという点です。つまり会社が自社株を大量に保有しても、それ自体が株主総会の意思決定に影響することはありません。自己株式に認められるのは、経済的利益を受け取る「自益権」のみです。
これが原則です。
自己株式を取得すると、市場に出回る株式の総数が減少します。その結果、株式の需給バランスが変化し、相対的に株価が押し上げられる効果が生まれます。
これが自己株式取得の代表的なメリットです。
さらに注目すべきは、財務指標への連鎖的な改善効果です。1株あたり利益(EPS)は「当期純利益÷発行済株式数」で計算されます。株式数が減れば、純利益が同じでもEPSは自動的に上昇します。また、自己資本利益率(ROE)は「当期純利益÷自己資本」の計算式ですが、自己株式取得によって自己資本が減少するため、ROEの数値も高まります。
つまり、自己株式取得は「株価の需給改善」「EPSの向上」「ROEの改善」という三つの株主価値向上効果を同時にもたらします。
これは使えそうです。
たとえば発行済株式数が1,000万株の会社が10%相当の100万株を買い戻せば、EPSはおよそ11%改善する計算になります。機関投資家が自社株買いのニュースに敏感に反応するのも、この財務指標改善効果を即座に評価しているからです。
自己株式の取得は、敵対的買収(M&A)に対する有効な防衛策にもなります。会社が自社株を買い戻すことで、市場に出回る株式の総数が減り、買収者が取得できる株式の比率が相対的に低下するからです。
また、自己株式取得によって株価が上昇することも重要な防衛効果です。株価が高ければ高いほど、買収側は相場以上のプレミアムを上乗せして買い付けなければならず、買収コストが大幅に増加します。買収コストの上昇は買収者の意欲を削ぎ、結果として買収を断念させる効果が期待できます。
持株比率という観点でも具体的な効果があります。株主は持株比率に応じてさまざまな権利を行使できます。たとえば33.3%以上の持株比率があれば、定款変更や増資などの特別決議を単独で阻止できます。自己株式取得によって市場の浮動株を減らすことで、友好的な株主の持株比率を実質的に高め、安定した株主構成を維持しやすくなります。敵対的買収が気になるなら、この点が重要です。
自己株式の取得は、上場企業だけでなく非上場の中小企業にとっても非常に有効な活用方法があります。
特に事業承継の場面です。
会社を後継者に引き継ぐ際、後継者は相続または贈与で取得した株式に対して多額の相続税・贈与税が課されます。問題は、株式の価値が高くても「現金がなければ税金を払えない」という状況が生まれることです。
これが事業承継の大きな壁となっています。
この課題を解決するのが、会社による自己株式の取得です。会社が後継者から株式を買い取り自己株式として保有することで、後継者は現金を手に入れられます。その現金を相続税の納税資金に充当できるため、まとまった手元資金がなくても事業承継を進められるのです。事業承継対策として非上場会社で広く活用されている手法です。
ただし後述するみなし配当の問題が絡むため、事前に税理士などの専門家へ相談することが条件です。
この点は後のセクションで詳しく解説します。
自己株式は、M&Aの対価として活用することでも価値を発揮します。企業買収や合併の場面では、買収側が現金だけでなく自社株式を対価として渡す「株式交換」という手法がよく使われます。
この際、あらかじめ保有していた自己株式を対価として使えれば、新たな株式を発行する必要がありません。新株発行を避けることで、既存株主の持株比率が薄まる「株式の希薄化(ダイリューション)」を防ぐことができます。既存株主への影響という観点でいえば、新株発行よりも自己株式活用の方が優しいといえます。
さらに実務的な観点では、新株発行には登記手続や有価証券届出書の提出など煩雑な事務作業が伴います。一方で、すでに保有している自己株式を対価として使う場合はこれらの手続が不要となり、M&A実行のスピードを高められる点もメリットです。迅速なM&A実行には自己株式の事前取得が有利です。
自己株式の取得において、株主サイドが最も注意すべきデメリットがみなし配当です。これが知らないと大きな損につながる落とし穴です。
みなし配当とは、会社が株式を買い戻す際の対価のうち、株式の「出資元本(資本金等の額に相当する部分)」を超える金額のことです。会社法上は配当に分類されませんが、税務上は剰余金の配当と同じ扱いになります。
個人株主がみなし配当を受け取った場合、その金額は「配当所得」として総合課税の対象となります。総合課税は給与所得など他の所得と合算して累進税率が適用されるため、高収入の個人株主の場合は最大で所得税45%+住民税10%=55%もの税率が課される可能性があります。通常の株式譲渡益であれば20.315%の申告分離課税で済むことを考えると、その差は大きいです。
痛いですね。
なお、上場株式の市場取引による取得の場合、みなし配当は発生しません。みなし配当が問題になるのは、主に非上場株式を市場外(相対取引・TOBなど)で取得するケースです。非上場株式の売却を検討している株主は、この点を必ず事前に確認することが必要です。
参考になる情報として、みなし配当の計算方法や申告に関する詳細は国税庁の案内も確認できます。
国税庁|上場会社の自己株式の公開買付けに応じて受け取る金銭とみなし配当課税について
自己株式を取得する際、会社は現金を社外に支払います。
この点は最も基本的なデメリットです。
取得数や株価によっては多額の資金が一度に社外に流出するため、手元流動性が低下し、資金繰りが悪化するリスクが生じます。
財務指標の観点でも注意が必要です。自己株式は貸借対照表の純資産の部に「マイナス計上」されます。取得額が大きくなれば純資産(自己資本)が減少し、自己資本比率が低下します。財務の安定性を示す自己資本比率は一般的に30%以上が望ましいとされており、これが大幅に下がると金融機関からの評価が下がり、融資条件に影響することもあります。
また、手元資金を自己株式取得に充ててしまうことで、本業への設備投資や人材採用、マーケティングといった成長投資機会を逃すリスクもあります。特に景気変動や売上の季節変動が激しい業種では、不意の運転資金不足につながりかねません。
資金計画とセットで考えることが原則です。
自己株式の取得には、会社法上の重要な制約「財源規制」があります。これは、自己株式を取得できるのは「取得時点における分配可能額の範囲内」に限るというルールです(会社法461条1項)。
分配可能額はおおむね「その他資本剰余金の額+その他利益剰余金の額」を基準に算定されます。赤字が続いている会社や剰余金が少ない会社では、この分配可能額が想定より低い場合があります。計算方法を誤って分配可能額を超えて自己株式を取得してしまうと、深刻なリスクが発生します。
会社法462条は、財源規制に違反した場合、金銭の交付を受けた株主と業務執行者(取締役等)が、連帯して会社に対して交付した対価の帳簿価額を返還する義務を負うと定めています。さらに、会社法963条5項は財源規制違反に刑事罰を定めており、違反した取締役には刑事罰が課される可能性もあります。
これは厳しいところですね。
実際にニデック(旧日本電産)のような大企業でさえ財源規制に絡む問題が報じられた事例があり、中小企業であれば経理担当者の引き継ぎ不備などにより気付かないうちに違反状態になるリスクもあります。自己株式取得の際は必ず直前の分配可能額を専門家(弁護士・公認会計士)に確認することが必須です。
財源規制の詳細な実務上の留意点については、以下の参考情報が役立ちます。
のぞみ総合法律事務所|自己株式取得の全体像と実務上の留意点(財源規制の解説)
上場企業であれば株価は市場で毎日決まりますが、非上場企業の場合は公的な市場価格がありません。そのため、非上場株式を自己株式として取得する場合、取得価格の算定が非常に困難であり、これが多くのトラブルの温床になっています。
実務では「財産評価基本通達」に基づいた評価方法が参考にされますが、その株価は売主である株主が法人か個人か、同族株主か少数株主かといった属性によっても異なります。
専門家の判断が必要です。
特に注意が必要なのは「時価より著しく低い価額」での取得です。個人株主から時価よりも低い価額で自己株式を取得した場合、その個人株主に対しては時価で譲渡したものとして所得税が課されるリスクがあります。さらに、残存する他の株主に対しては「みなし贈与」として贈与税が課される可能性もあります。つまり、価格を低く設定したつもりが、当事者以外の株主まで含めて課税トラブルに発展する可能性があるということです。非上場株式の取得には専門家への相談が条件といえます。
自己株式の取得方法は、大きく以下の4つに分類されます。それぞれの特徴と向いているシーンが異なります。
| 取得方法 | 概要 | 主な対象 |
|---|---|---|
| ①市場取引(立会内・ToSTNeT-3) | 市場で流通している自社株を証券取引所経由で購入する方法 | 上場企業のみ |
| ②公開買付け(TOB) | 期間・買取額を公表し、不特定多数の株主から買い付ける方法 | 上場・非上場ともに可 |
| ③全株主からの相対取得 | すべての株主に機会を提供して株式を買い取る方法(株主総会の普通決議が必要) | 主に非上場企業 |
| ④特定株主からの取得 | 特定の株主のみを対象に買い取る方法(株主総会の特別決議=出席議決権の2/3以上が必要) | 上場・非上場ともに可 |
上場企業で最もよく使われるのは①の市場取引です。中でも東証の自己株式専用立会外取引「ToSTNeT-3」は、前日終値を買付価格として当日の朝8時〜8時45分という短時間で取引が成立するため、大株主からの大口取得に活用されることが多いです。
迅速な取得が必要な場面に向いています。
特定の株主からの取得(④)は最もハードルが高く、特別決議が必要なうえ、対象外の他の株主も「自分も売主に追加してほしい」と請求できる権利(議案変更請求権)があります。この点は見落としやすい落とし穴なので注意が必要です。
自己株式を取得した後、会社はその株式をどのように扱うかを決める必要があります。主な選択肢は「消却」「処分(売却)」「保有(金庫株)」の3パターンです。
消却は取得した自己株式を完全に消滅させることで、その分だけ発行済株式総数が減少します。発行済株式総数が減れば1株あたりの価値が恒久的に高まるため、長期的な株主価値の向上策として有効です。消却には取締役会決議が必要で、減少した旨の登記も必要になります。
処分(売却)は保有中の自己株式を市場や第三者に売却することです。資金調達や企業再編の手段として用いられます。
処分の場合は発行済株式総数は減少しません。
注意点として処分価格と帳簿価格の差額が「自己株式処分差益」または「自己株式処分差損」として資本剰余金に計上されます。
保有(金庫株)は取得した自己株式をそのまま保有し続けることです。将来のM&A対価やストックオプションへの活用のために保有しておく戦略です。ただし保有し続けるだけではコストが発生する(取得代金は既に支出済みのため機会費用が発生する)点には注意が必要です。
自己株式の会計処理は、一般的な資産の購入とは異なる点があります。資産として計上するのではなく、純資産の部からの「控除」として扱われます。企業会計基準第1号「自己株式及び準備金の額の減少等に関する会計基準」に従った処理が求められます。
具体的には、自己株式1,000株を1株あたり2,000円で取得した場合、以下の仕訳となります。
| 借方 | 貸方 |
|---|---|
| 自己株式 2,000,000円 | 現金預金 2,000,000円 |
この処理の結果、貸借対照表の純資産の部に「自己株式▲2,000,000円」というマイナス項目が生まれます。純資産(自己資本)が減少するため、ROEが上昇する仕組みです。
なお、自己株式の取得に証券会社への手数料などが発生した場合は、その手数料は「自己株式」の取得原価には算入せず、営業外費用として処理する点も覚えておくとよいでしょう。処理方法を間違えると決算書の修正が必要になります。
会計処理の正確さが条件です。
自己株式の取得は、上場企業と非上場企業では活用の目的や期待できる効果がかなり異なります。
この違いを理解しておくことが重要です。
| 項目 | 上場企業 | 非上場企業 |
|---|---|---|
| 主な目的 | 株主還元・EPS/ROE改善・買収防衛・ストックオプション用 | 事業承継対策・株主整理・相続税対策・分散株式の集約 |
| 株価の算定 | 市場価格で明確 | 財産評価基本通達等で算定、価格紛争リスクあり |
| みなし配当 | 市場取引では発生しない | 相対取引では高頻度で発生(最大55%課税リスク) |
| 取得方法 | 市場取引・TOBが中心 | 相対取引(全株主・特定株主)が中心 |
| 財源規制 | 分配可能額の範囲内(共通) |
上場企業では2015年のコーポレートガバナンス・コード導入以降、外国機関投資家の要求に応える形で自己株式取得が急増しました。ROEや資本効率を改善する手段として市場から強く求められるようになったためです。
一方、非上場の中小企業では「相続で株式が親族や元従業員に分散している」「後継者が納税資金を確保できない」といった実務的な課題の解決策として注目されています。非上場企業での活用は、現在も増加傾向にあります。
金融に興味のある投資家にとって、「自己株式の取得発表=株価上昇の好材料」というイメージは半ば常識になっています。しかしプロの機関投資家はもっと慎重な目線で自社株買いを評価しています。
実は、自社株買いには「企業が成長投資先を見つけられないことの裏返し」という見方もあります。本業に再投資するよりも株主に資金を還元することを優先しているとも取れるため、成長性のある企業よりも成熟企業や余剰現金を抱えた企業に多く見られる傾向があります。
投資家として見極めたいポイントは主に三つです。第一に「取得規模が純利益に対してどの程度か」です。純利益の10〜20%程度であれば健全な還元ですが、それを大幅に超える場合は財務圧迫のリスクがあります。第二に「自社株買いの後に消却するかどうか」です。消却せずに金庫株として保有したままでは、将来の希薄化リスクが残ります。第三に「本業の設備投資や研究開発費が削られていないか」です。成長投資を犠牲にした自社株買いは中長期的な企業価値を毀損する可能性があります。
これらの視点で企業のIR資料や決算発表資料を読み解く習慣をつけることで、単に「株価が上がりそう」という判断を超えた質の高い投資判断が可能になります。企業の自社株買いニュースを見たら、この3点だけ確認すればOKです。
自己株式の取得は、正しく活用すれば企業と株主双方にとって大きなメリットをもたらす制度です。一方で、みなし配当課税・財源規制違反・資金繰り悪化・株価算定トラブルといったデメリットも現実に存在します。
以下に主要なポイントをまとめます。
自己株式取得を検討する際は「目的→株価算定→資金計画→財源規制確認→手続き→税務処理」という順番で進めることが最善です。特に非上場企業の経営者や後継者は、専門家の関与なしに進めることのリスクが非常に高いため、早い段階から税理士・公認会計士・弁護士の意見を求めることをお勧めします。
自己株式取得の詳細な税務処理について、以下の参考資料も活用してください。
髙野総合会計事務所|自己株式取得のメリット・デメリット(上場・非上場の税務リスクを含む詳細解説)
fundbook|自己株式取得とは?メリット・デメリットや手続きの目的・方法について解説