

登記しなくても権利は成立しますが、登記しないと「無権利者」同然になります。
配偶者居住権とは、被相続人(亡くなった方)が所有していた建物に配偶者が居住していた場合、死亡後も引き続きその建物に無償で住み続けられる権利です。2020年4月1日に施行された改正民法(第1028条)によって新設された制度であり、残された配偶者の生活基盤を守ることを主な目的としています。
従来の相続では、自宅の「所有権」を取得しようとすると、その分だけ現金や他の財産を受け取れる取り分が減ってしまう問題がありました。配偶者居住権はこれを解決するために生まれた仕組みです。つまり住む権利と所有権を分離することで、配偶者は住み続けながらも他の遺産もしっかり受け取れるようになります。
ただし、権利として成立しているだけでは不十分です。登記をしないと第三者に対抗できないという重大なリスクがあります(民法第1031条第2項)。この点は後述しますが、実務上も登記を速やかに行うことが強く推奨されています。
配偶者居住権の成立には2つの要件があります。
成立要件を満たしていれば、遺産分割協議・遺言・家庭裁判所の審判のいずれかを通じて配偶者居住権を取得できます。これが基本です。
参考:民法第1028条〜第1041条(配偶者居住権の根拠規定)および法務局公式解説資料
法務局公式|配偶者居住権設定登記申請書の記載例PDF(遺贈の場合)
登記申請書の書き方は取得原因によって微妙に異なります。大きく分けると「遺産分割によって取得した場合」と「遺贈によって取得した場合」の2パターンがあります。ここでは両パターンの記載例を整理して紹介します。
【遺産分割による場合の記載例】
```
登記の目的 配偶者居住権設定
原 因 令和○年○月○日遺産分割
存続期間 令和○年○月○日から配偶者居住権者の死亡時まで
特 約 第三者に居住建物の使用又は収益をさせることができる(※定めがある場合のみ)
権 利 者 ○市○町○丁目○番地 山田花子
義 務 者 ○市○町○丁目○番地 山田一郎 ㊞(実印)
添付情報 登記識別情報 登記原因証明情報 印鑑証明書
課税価格 金○○○万円
登録免許税 金○○○円
不動産の表示 (建物の登記事項証明書のとおり記載)
```
この記載例で「原因」欄には遺産分割協議が成立した日付を記入します。また「存続期間」の起算日は相続開始日または遺産分割協議成立日のいずれかとなります。遺産分割協議成立日を起算日とする場合は、登記原因日付と重複するため「配偶者居住権者の死亡時まで」とのみ記載すれば問題ありません。
【遺贈による場合の記載例】
```
登記の目的 配偶者居住権設定
原 因 令和○年○月○日遺贈
存続期間 配偶者居住権者の死亡時まで
権 利 者 ○市○町○丁目○番地 法務花子
義 務 者 ○市○町○丁目○番地 法務一郎 ㊞(実印)
添付情報 登記識別情報 登記原因証明情報 印鑑証明書 代理権限証明情報
課税価格 金3,000,000円
登録免許税 金6,000円
```
遺贈の場合、「原因」欄には遺贈の効力が生じた日、すなわち遺言者の死亡日を記載します。法務局が公開している公式の記載例(遺贈のケース)でも、建物の評価額300万円に対して登録免許税6,000円(0.2%)として記載されています。実際に手続きを行う際は最新の法務局公式様式を参照することを強くお勧めします。
この申請においては共同申請が原則です。配偶者(権利者)と建物所有者(義務者)が連名で申請します。ただし、遺産分割の審判により登記義務者への登記手続き命令が下された場合は、配偶者による単独申請が認められています。
参考:法務局の公式記載例(遺産分割の場合)
佐賀県司法書士会|配偶者居住権の登記申請書記載例(遺産分割)PDF
配偶者居住権設定登記の申請には、段階的な準備が必要です。手続きは大きく分けて「前提登記の確認→必要書類の収集→登録免許税の計算→申請書の作成→法務局への提出」という流れになります。抜けや漏れが出ないよう順番に確認しましょう。
前提として必要な相続登記について
配偶者居住権設定登記を申請する前に、建物の名義が被相続人(亡くなった方)のままになっている場合は、まず相続による所有権移転登記を先に行わなければなりません。これが前提登記です。例えば遺産分割協議で「子が建物所有権、配偶者が配偶者居住権を取得する」と決まった場合、申請の順番は以下のとおりです。
必要書類の一覧は下表のとおりです。
| 書類名 | 内容・備考 |
|---|---|
| 登記原因証明情報 | 遺産分割協議書・遺言書・審判書のいずれか |
| 登記識別情報 | 建物の所有者(義務者)が相続登記時に取得したもの |
| 印鑑証明書 | 義務者(建物所有者)の3ヶ月以内のもの |
| 固定資産評価証明書 | 登録免許税の計算に使用 |
| 代理権限証明情報 | 司法書士等に委任する場合の委任状 |
特に「登記識別情報」と「印鑑証明書」は義務者側(建物所有者)が準備する書類であるため、子や他の相続人に協力を求める必要があります。これが実務上のトラブルになるケースもあるため、早めに連絡・確認することが大切です。
法務局の管轄に注意
登記申請は、対象不動産の所在地を管轄する法務局(地方法務局・支局・出張所)に提出します。住んでいる場所の近くではなく、建物の所在地が基準になる点に注意が必要です。法務局の管轄は法務局の公式サイトや電話で確認できます。
参考:配偶者居住権の手続き全体像の解説
小金井・府中 相続・登記センター|配偶者居住権の登記手続き(登記申請書の記載例付)
配偶者居住権の設定登記にかかる費用のうち、もっとも重要なのが登録免許税です。計算式はシンプルで、建物の固定資産税評価額 × 0.2%(1000分の2)となります。
$$\text{登録免許税} = \text{建物の固定資産税評価額} \times 0.2\%$$
具体的な計算例を挙げると次のようになります。
なお、計算した額が1,000円未満となる場合は、一律1,000円が登録免許税となります。また、所有権移転登記の税率(相続の場合は評価額の0.4%)と比較するとちょうど半分のコストです。これは意外に安いですね。
ここで注意点があります。金融に詳しい方でも混同しやすいのが、この登録免許税の課税標準が「建物のみ」であることです。配偶者居住権は土地には設定できないため、土地の固定資産税評価額を含めて計算してしまうと金額が過大になります。建物の評価額だけを使うのが原則です。
登記簿上の記録場所は「乙区」
配偶者居住権の設定登記は、登記簿(登記事項証明書)の権利部(乙区)に記録されます。甲区は所有権に関する事項を記録する欄であり、乙区は「所有権以外の権利」(抵当権・地上権・賃借権など)を記録する欄です。配偶者居住権は所有権ではなく、使用・収益を目的とする用益権的な性格を持つため、乙区に記録されます。
登記簿上での記載内容には次のような事項が含まれます。
この登記事項が記録されることで、第三者が建物の登記簿を確認した際に「この建物には配偶者居住権が設定されている」とわかる状態になります。つまり対抗要件が具備されるということです。
参考:国税庁の登録免許税税額表(配偶者居住権の設定登記)
国税庁|No.7191 登録免許税の税額表(配偶者居住権の設定登記を含む)
配偶者居住権は、法的な要件を満たせば登記なしでも権利として発生します。しかし未登記のまま放置することには深刻なリスクがあります。これは見落とされがちな点です。
民法第1031条第2項は「配偶者居住権は登記しなければ第三者に対抗できない」と明確に規定しています。
具体的なリスクを事例で確認します。例えば、配偶者(妻・花子さん)が遺産分割協議で配偶者居住権を取得したものの、登記をしないでいたとします。その後、建物を相続した長男(一郎さん)が花子さんに内緒で第三者(鈴木さん)にその建物を売却してしまったとします。この場合、登記がなければ花子さんは鈴木さんに「私に居住権がある」と主張できず、最悪の場合は立ち退きを余儀なくされます。
一方、登記が完了していれば、鈴木さんが建物を取得した後でも花子さんは配偶者居住権を主張できます。住む場所を守れるということですね。
配偶者居住権抹消登記について
配偶者居住権が消滅した場合は、抹消登記の手続きが必要です。消滅事由は主に以下のとおりです。
消滅事由によって申請方法が異なります。①の配偶者の死亡による消滅の場合は、建物の所有者が単独で抹消登記を申請できます(不動産登記法第69条の2)。これは居住権者がすでに死亡しているため共同申請が不可能であることへの対応です。②③④の場合は、原則として所有者と配偶者の共同申請が必要です。
また、③の合意解除で抹消登記を行った場合には注意が必要です。この場合、配偶者が所有者に配偶者居住権を贈与したものとみなされ、贈与税の課税対象になる可能性があります。痛いですね。合意解除を検討する際は、税理士や司法書士に相談してから進めることを強くお勧めします。
参考:配偶者居住権の抹消登記に関する法務局の公式記載例
法務局公式|配偶者居住権抹消登記申請書の記載例PDF
金融や資産運用に関心のある方がとくに注目すべきは、配偶者居住権の「評価額の分割」という観点です。一般にはあまり語られない視点ですが、登記を行うことで相続税の申告上も重要な意味を持ちます。
配偶者居住権が設定された建物は、「配偶者居住権の価値」と「居住建物の所有権(負担付)の価値」に分割して評価されます。配偶者が受け取った配偶者居住権の評価額は相続財産に計上される一方、建物の所有権者(たとえば子)が取得する建物の評価額は配偶者居住権分だけ圧縮されます。
$$\text{建物全体の評価額} = \text{配偶者居住権の評価額} + \text{居住建物所有権(負担付)の評価額}$$
このように財産評価を分割できるため、一次相続(夫が亡くなった時)に配偶者が建物全体の所有権を相続するより、二次相続(妻も亡くなった時)での課税財産を減らせるケースがあります。配偶者居住権は相続で終身まで持つ権利であり、配偶者の死亡とともに消滅して相続されません。つまり子供への二次相続時には建物の「評価減分」だけが課税ベースになるため、節税効果が期待できる場面があるのです。
ただしすべての家庭に有利かというとそうではありません。配偶者居住権は譲渡できないため、将来的に建物を売却して老後の資金を確保したいという場合には制約になります。また、建物を建て替えるには所有者の同意が必要です。柔軟な資産活用を優先したい場合は、居住権の設定ではなく所有権の取得を選ぶほうが合理的なこともあります。
自分の状況に合わせた判断が必要ですね。どちらが有利かは家族構成・財産規模・将来の生活設計によって変わるため、相続専門の税理士や司法書士への相談を一度検討してみることをお勧めします。相続税の試算をもとに具体的な比較をしてもらうことで、登記を含む最適な手続き方針を決められます。
参考:配偶者居住権の相続税評価方法と計算例
税理士法人チェスター|配偶者居住権の相続税評価方法・計算例をわかりやすく解説