

相殺の意思表示に条件や期限を付けると、その相殺は最初から無効になります。
「相殺」と書いて「そうさい」と読みます。「あいさつ」と読む方が一定数いますが、それは誤りです。意味を正確に言うと、当事者双方が互いに同じ種類の債権を持っているとき、一方が意思表示することで双方の債権・債務を対当額だけ消滅させることです。
わかりやすい例で説明します。A社がB社に対して売掛金100万円を持ち、同時にB社からの仕入れで買掛金60万円を持っているとします。この状況で相殺を行うと、100万円と60万円の小さい方(60万円)が消え、A社はB社に差額40万円を請求するだけで済みます。つまり、現金を実際に動かす金額が大幅に減るということです。
これが基本です。
一般的な意味ではもう少し広く使われます。「プラスとマイナスを差し引きして帳消しにする」という意味で、日常会話でも「メリットとデメリットが相殺された」のように使われます。ビジネスと日常会話で意味が微妙に異なる点を意識しておくと、使い方のミスを減らせます。
法律上の根拠は民法第505条です。「両当事者が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合において、双方の債務が弁済期にあるときは、各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができる」と定められています。この規定が、相殺を相手の同意なく一方的に行える根拠になっています。
相手の同意が不要な点は意外ですね。
ただし「相手の同意が不要」とはいえ、実務では取引先に通知してトラブルを防ぐのが鉄則です。証拠として配達証明付き内容証明郵便で相殺通知を送ることが推奨されています。黙って処理してしまうと、二重請求・二重払いのリスクが生まれます。
相殺が正式に成立するには、「相殺適状」と呼ばれる3つの要件をすべて満たしている必要があります。1つでも欠けると、相殺の効果は生まれません。実務でこの確認を飛ばすと、後から「その相殺は無効だ」と主張されるリスクがあります。
3要件が条件です。
① 同種の債権が対立して存在すること
双方の債権が「同じ種類」でなければなりません。典型例は金銭債権同士(売掛金と買掛金、貸付金と借入金など)です。金銭債権と物品引渡し債権は「種類が違う」ので相殺できません。
② 自働債権(自分の債権)の弁済期が到来していること
相殺を宣言する側(自働債権の持ち主)の債権は、支払期日を迎えていなければなりません。一方、相殺される側(受働債権)の弁済期はまだ未到来でも問題ありません。これは「期限の利益を放棄できる」という民法の考え方に基づきます。
③ 相殺が禁止されていないこと
法律または契約によって相殺が禁じられていないことが必要です。このポイントが一番見落とされやすく、実務上のトラブルの多くがここに起因します。詳しくは次の見出しで解説します。
3つすべてが条件です。
使い方の具体例として、ビジネスメールでの表現を見てみましょう。「当社の請求書No.XXXX(金額200,000円)と、貴社からのご請求書No.YYYY(金額150,000円)を相殺し、差額50,000円を〇月〇日までにお振り込みいたします」という形が標準的な書き方です。「差し引き」「帳消し」という言葉に置き換えることもできますが、正式な書面では「相殺」という法律用語を使うほうが明確です。
実務では「相殺通知書」として取引先に書面を送付し、合意を文書として残します。これにより、税務調査・社内監査・紛争が発生した際に、いつ・いくら・何の債権を相殺したのかを第三者に説明できる状態を作っておけます。
厚生労働省の裁判例解説:賃金と他の債権の相殺について(賃金全額払いの原則)
「相殺できる」と思い込んで進めると、後で「その相殺は無効でした」という事態になりかねません。法律上・契約上の相殺禁止事由は7種類あります。金融や取引に関わる場面では特に以下の3つが重要です。
❌ 相殺禁止特約が契約書に入っているケース
取引基本契約書などに「相殺を禁止する」旨の特約条項が盛り込まれていると、民法上の相殺適状を満たしていても相殺はできません(民法505条2項)。特に大手企業との取引では、この特約が標準の契約書テンプレートに含まれていることが珍しくありません。契約書を締結する段階でこの条項を見落としたまま、後で相殺を試みると無効になります。痛いですね。
❌ 給与・年金など差押禁止債権を相殺するケース
民事執行法152条により、給与は「4分の3の金額」について差押えが禁止されています。たとえば月給40万円の従業員に対しては、30万円分は差し押さえられず、したがって相殺にも使えません。会社が従業員の損害賠償を給与から勝手に差し引くことは、この規定により原則として禁止されています(労働基準法24条の賃金全額払い原則)。
❌ 悪意の不法行為による損害賠償債権を受働債権とするケース
改正民法509条では、「悪意による不法行為に基づく損害賠償の債務」を受働債権(相殺される側)として相殺することは禁じられています。被害者が現実に賠償金を受け取れるようにするための保護規定です。
これは知らないと損します。
その他にも、「自働債権に同時履行の抗弁権が付着している場合」「差し押さえられた債権を自働債権にしようとする場合」なども相殺が無効です。複雑な取引で相殺を活用したいときは、弁護士などの専門家への確認を挟むのが安全です。
| 相殺できないケース | 根拠 |
|---|---|
| 相殺禁止特約がある | 民法505条2項 |
| 給与・年金の3/4部分 | 民事執行法152条 |
| 悪意の不法行為による損害賠償 | 民法509条1号 |
| 生命・身体侵害の損害賠償 | 民法509条2号 |
| 差押禁止債権(扶養料等) | 民法510条 |
| 差押えを受けた債権(原則) | 民法511条 |
| 自働債権に抗弁権が付着 | 民法505条但書 |
弁護士が解説する相殺の仕組みと7つの相殺禁止事由(直法律事務所)
相殺の概念を理解したら、次は実際の処理の流れを覚える必要があります。相殺は「何を・いくら・いつの基準日で」処理したかを、第三者に説明できる形に整えるのがポイントです。
📋 相殺仕訳の具体例
B社がA社に商品を200,000円で販売し、同じ月にA社から150,000円分の仕入れを行ったケースで考えます。翌月、150,000円を相殺し差額50,000円のみを現金で受け取る場合の仕訳は以下のとおりです。
| 日付 | 借方 | 金額 | 貸方 | 金額 | 摘要 |
|---|---|---|---|---|---|
| 当月 | 売掛金 | 200,000円 | 売上 | 200,000円 | A社への売上 |
| 当月 | 仕入 | 150,000円 | 買掛金 | 150,000円 | A社からの仕入 |
| 翌月 | 買掛金 | 150,000円 | 売掛金 | 150,000円 | 相殺処理 |
| 翌月 | 普通預金 | 50,000円 | 売掛金 | 50,000円 | A社からの差額入金 |
これが基本の仕訳です。
📄 相殺請求書の書き方
相殺処理を行った事実は請求書に明記します。記載すべき項目は「相殺前の請求金額」「相殺する金額(▲で表記)」「相殺後の差引請求金額」の3点です。この3点が揃っていれば、相殺の経緯がひと目でわかります。
インボイス制度(適格請求書)に対応する場合、注意が必要です。相殺は「値引き」ではなく「決済方法」なので、適格請求書は相殺前の本来の金額で発行し、相殺明細は別欄または別書類で示す方法が実務上多く採用されています。この区別を間違えると、仕入税額控除が正しく計算できなくなる可能性があります。
相殺処理が月に数十件ある企業では、手動での消込作業が膨大になります。請求管理システムを使うことで、過入金の相殺や売掛金・買掛金の自動消込を効率化できます。freeeやMoneyForward Claimなど複数のサービスが対応しており、電子帳簿保存法への対応も兼ねて検討する価値があります。
マネーフォワードクラウド:相殺精算の仕訳・請求書・領収書の処理を詳しく解説
金融に関心がある方にとって特に重要な「相殺」の活用場面があります。それは取引先の銀行や金融機関が経営破綻した場合です。これは独自の視点ですが、多くの人が知らないまま損をしている可能性があります。
🏦 金融機関破綻時の相殺とは?
銀行が破綻すると、預金保険制度(ペイオフ)により、1金融機関・1預金者あたり「元本1,000万円と破綻日までの利息」が保護されます。しかし、もし1,500万円の預金があった場合、500万円は保護対象外となり、破綻金融機関の財産状況によっては一部カットされることがあります。
これが条件です。
ここで相殺が役立ちます。もし同じ金融機関から700万円の借入があるとします。この場合、預金1,500万円と借入700万円を相殺することで、差し引き800万円の預金だけが残ります。800万円は1,000万円以下なので、全額が預金保険の保護対象に入ります。つまり、相殺を行ったほうが、実質的に手元に残るお金が増えるわけです。
| ケース | 預金 | 借入 | 保護額 | 最終手取り(概算) |
|---|---|---|---|---|
| 相殺なし | 1,500万円 | 700万円 | 元本1,000万円まで | 〜1,000万円+500万円の一部 |
| 相殺あり | 800万円(相殺後) | 0円 | 800万円全額保護 | 800万円全額 |
これは使えそうです。
手続き上の注意点があります。相殺を申し出るタイミングは「預金保険の支払い開始より前」である必要があります。破綻金融機関の管財人に対して、相殺の意思表示を行う必要があるため、金融機関破綻のニュースを受けたら早めに動くことが大切です。また、相殺後に生活資金がなくなる場合は相殺しないほうが良いケースもあるため、状況に応じた判断が必要です。
金融機関を複数使い分けているほど、こういった制度的な知識が「実際のお金の増減」に直結します。普段から取引銀行に借入があるかどうか、預金残高が1,000万円に近いかどうかを把握しておくだけで、いざというときの行動が変わります。
ここまで読んだ方は、相殺について「意味を知っている」状態から「実務で使える」状態に近づいているはずです。最後に、関連する言い換え表現と英語表現を整理します。これらは会議や文書作成でそのまま活用できます。
📚 相殺の言い換え一覧
「相殺」は状況によって言い換えると自然な文章になります。
- 帳消し:「損得を帳消しにした」→ 日常的な表現として最もよく使われる
- 打ち消し合い:「双方のコストが打ち消し合った」→ 効果が相互に消えるニュアンス
- 差し引き:「差し引きするとゼロになる」→ 計算的な文脈で使いやすい
- 棒引き:「借金を棒引きにする」→ 一方的に免除するニュアンスがやや強め
- ネッティング(netting):金融実務・デリバティブ取引でよく使われる英語由来の表現
結論は「帳消し」が最汎用的です。
🌐 英語表現と使い分け
| 英語 | 主な使用場面 |
|---|---|
| offset | 会計・損益の相殺全般 |
| set-off | 法律・契約書(英国法的ニュアンス) |
| netting | 金融・デリバティブ取引 |
| cancel out | 数値・効果が互いに消えるとき |
たとえば「We will offset the accounts receivable against the accounts payable.(売掛金と買掛金を相殺します)」という表現が英語取引のメールでは標準的です。
また、インボイス制度の導入以降、相殺処理における税率の扱いが複雑になっています。相殺対象の売掛金と買掛金の消費税率が異なる場合(たとえば8%と10%が混在)、対当額での相殺計算に注意が必要です。税率ごとに区分して仕訳を記録することが求められます。これを見落とすと税額の計算が狂い、後の税務申告に影響が出ます。注意に値します。
相殺を正しく使うことは、資金繰りの改善・貸し倒れリスクの軽減・振込手数料の節約という3つの実益に直結します。特に売掛金・買掛金が継続して発生する継続取引においては、相殺の仕組みを事前に契約書で合意しておくだけで、月次の経理処理が格段にシンプルになります。まず最初の一歩として、現在の主要取引先との契約書に「相殺禁止特約」が入っていないかを確認することをおすすめします。
freee:相殺の成立要件・メリット・デメリット・請求書の書き方まとめ