

法務局に保管を頼んでも、遺言の内容が無効になる可能性はゼロではありません。
自筆証書遺言書保管制度は、2020年(令和2年)7月10日からスタートした比較的新しい仕組みです。法務省が所管する法律「法務局における遺言書の保管等に関する法律」に基づき、自分で手書きした遺言書を法務局(遺言書保管所)に預けられるようになりました。制度開始からわずか5年で、累計保管申請件数は10万件を突破しています。
以前の自筆証書遺言には、「自宅保管中に紛失・改ざんされる」「相続人に発見されない」「家庭裁判所の検認が必要で遺族が苦労する」といった課題がありました。この制度はそのリスクを大幅に軽減するために作られたものです。
制度の根幹は「原本と画像データの長期保管」にあります。原本は遺言者の死亡後50年間、画像データは死亡後150年間、法務局が厳重に保管します。スタートアップ期を経て、現在では2024年(令和6年)だけで年間23,419件の申請があり、前年比でも増加を続けています。
利用できるのは自筆証書遺言のみです。公正証書遺言をこの制度で預けることはできません。まずそこを押さえておいてください。
参考:自筆証書遺言書保管制度の概要(法務省公式)
法務省 自筆証書遺言書保管制度 よくあるご質問 – moj.go.jp
まず最大のメリットは「費用の低さ」です。保管申請にかかる手数料は、遺言書1通につき3,900円(収入印紙で納付)。公正証書遺言は財産額や相続人の人数によって異なりますが、平均的には15万円前後かかります。3,900円という金額は、はがき1枚分の切手代(84円)と比べれば約46枚分ですが、公正証書遺言の費用と比べると約97%以上の節約になる計算です。これは使えそうです。
次に大きいのが「検認が不要になる」点です。法務局に保管されていない自筆証書遺言が発見された場合、相続人は家庭裁判所に持参して検認の手続きを受けなければなりません。必要書類の収集・裁判所への出頭・相続人全員への通知と、検認には相当な手間がかかります。法務局保管制度を使えば、この手続きが丸ごと不要になります。
3つ目のメリットは「紛失・改ざん・隠蔽のリスクがなくなる」ことです。遺言の内容に不満を持つ相続人が、自宅保管の遺言書を持ち出して破棄・改ざんするトラブルは珍しくありません。法務局が厳重に保管するため、そのリスクがゼロになります。
4つ目は「死亡後に相続人等へ通知される仕組みがある」点です。遺言者があらかじめ最大3名まで指定しておくと、法務局が死亡を確認した時点で「遺言書が保管されている」という通知を送ってくれます(指定者通知)。これにより「遺言書の存在を誰も知らなかった」という事態を防ぐことができます。
| 項目 | 自筆証書遺言(法務局保管) | 公正証書遺言 |
|------|--------------------------|------------|
| 費用 | 3,900円 | 平均15万円前後 |
| 作成者 | 遺言者本人(全文手書き) | 公証人 |
| 検認 | 不要 ✅ | 不要 ✅ |
| 内容チェック | 形式のみ ⚠️ | 公証人が審査 ✅ |
| 代理・郵送申請 | 不可 | 公証人出張可 |
| 証人 | 不要 | 2名以上必要 |
参考:自筆証書遺言と公正証書遺言の費用比較(相続会議)
手続きは大きく6つのステップで進みます。事前の準備が多めですが、順番を把握しておけば難しくはありません。
ステップ1:遺言書を作成する
遺言書の本文全文・日付・氏名を自分の手で書き、押印します(認印でOK。スタンプ印はNG)。法務局保管制度では、通常の民法上の要件に加え、さらに厳格な様式ルールがあります。用紙はA4サイズ限定で、上部5mm・下部10mm・左20mm・右5mmの余白が必須です。余白部分には1文字たりとも書けないため注意が必要です。フリクションペンや鉛筆は使用不可で、ボールペンなど容易に消えない筆記具を使います。
財産目録については、2019年(平成31年)1月以降の法改正でパソコン作成が認められています。ただし財産目録の全ページに署名・押印が必要です。本文(遺言内容の部分)はあくまで手書きが原則です。
複数ページになる場合は「1/3」「2/3」「3/3」のようにページ番号を記載します。ホチキス止めは禁止で、バラバラの状態で提出します。様式のルールが細かい点が最大のハードルです。
ステップ2:保管場所(法務局)を決める
申請できる法務局は「遺言者の住所地管轄」「本籍地管轄」「所有不動産の所在地管轄」の3つの中から選びます。任意の法務局には申請できないため注意が必要です。2通目以降を追加保管する場合は、最初に申請したのと同じ遺言書保管所でなければなりません。
ステップ3:保管申請書を作成する
法務省ホームページからダウンロードできる申請書に必要事項を記載します。パソコン・手書きどちらでも可。死亡時の指定者通知を希望する場合は、この申請書の段階で「通知対象者欄」を記入しておく必要があります。後から追加変更の届出もできますが、最初から記入しておくのがスムーズです。
ステップ4:法務局の予約を取る
保管申請には事前予約が必須です。法務局の予約専用サイト(24時間対応)か、電話・窓口で予約を取ります。予約なしでは手続きができない場合があります。
ステップ5:本人が直接出向いて申請する
遺言者本人が法務局に出向き、申請します。代理人申請も郵送申請も一切認められていません。病気や怪我で動けない場合は介助のための付き添いは認められますが、申請手続き自体は本人が行う必要があります。この「本人出頭」が最大のデメリットと言えます。
ステップ6:保管証を受け取る
手続き完了後に発行される「保管証」には、遺言書保管所名・保管番号などが記載されています。保管証は再発行不可のため、大切に保管してください。保管番号は遺言書を特定するための重要な情報です。
必要書類一覧
- 自筆証書遺言(ホチキス止めなし・封筒不要)
- 保管申請書(法務省HPよりダウンロード)
- 住民票の写し(本籍・筆頭者記載あり、マイナンバー記載なし)
- 顔写真付き身分証明書(運転免許証・マイナンバーカード等、有効期限内のもの)
- 手数料3,900円分の収入印紙
参考:保管申請の手続き詳細(法務省公式)
自筆証書遺言書保管制度のご案内(法務局PDF) – houmukyoku.moj.go.jp
制度の便利さばかりに注目すると、見落としがちなリスクがあります。法務局保管制度を使う前に必ず知っておきたいポイントです。
落とし穴①:内容は審査されない
最も重要な点がこれです。法務局の職員は「様式・形式が正しいかどうか」だけをチェックします。遺言の内容については一切審査しません。つまり「財産のすべてを特定の人に渡す」と書いても、それが他の相続人の遺留分(法律上保障された最低限の相続分)を侵害していても、そのまま受け付けられます。後から遺留分侵害を巡る争いが起きても、法務局は関与しません。結論として「保管された=有効な遺言」ではないのです。
公正証書遺言では公証人が内容を確認・修正してくれますが、この制度にはその機能がありません。遺留分の計算や受遺者の特定には、弁護士や司法書士などの専門家への事前相談が必要です。
落とし穴②:様式の不備で保管を断られることがある
法務局保管制度の様式ルールは細かく、A4サイズ・余白の数ミリ・ページ番号の記載方法など多岐にわたります。たとえば左余白が20mmより少しでも小さいと、それだけで書き直しが求められます。この厳格さは、スキャナで読み取って電子データも保管するためです。様式を満たしていないと保管を拒否されます。
せっかく法務局に予約を入れて足を運んだのに、書き直しを求められて帰宅するケースも珍しくありません。厳しいところですね。事前に法務省の「様式のご案内」ページでサンプルを確認してから作成するのが得策です。
落とし穴③:保管証の再発行は一切できない
申請完了時に発行される「保管証」には遺言書の保管番号が記載されていますが、この書類は再発行が不可能です。紛失してもそれ自体が遺言を無効にするわけではなく、手続きは可能ですが、相続人がスムーズに手続きを進めるうえで大切な情報が含まれています。受け取ったら、遺族が必ず目にする場所に保管しておくことをおすすめします。
落とし穴④:指定者通知を申請時に設定しないと自動通知されない
「法務局が死亡を把握したら自動的に相続人全員へ通知が届く」と思っている方は少なくありませんが、これは誤解です。実際には「指定者通知」(遺言者が希望する場合のみ)と「関係遺言書保管通知」(相続人等の誰かが証明書請求・閲覧をした場合)の2種類があります。申請時に指定者通知の設定をしておかないと、相続人が誰も法務局に問い合わせない限り通知は届きません。意外ですね。
遺言の存在を確実に伝えるには、申請書に通知対象者(最大3名)を記載しておくことが必要です。
参考:指定者通知の仕組み(法務省公式)
通知が届きます!~自筆証書遺言書保管制度 – moj.go.jp
金融資産を多く持つ方にとって、遺言書の作成は「相続税対策」と切り離せない話題です。ここでは一般的な記事ではあまり触れられない視点で解説します。
遺言書の内容設計が相続税額を大きく左右する
遺言書は「誰に何を渡すか」を決める文書ですが、それが同時に「相続税の計算基礎をどう配分するか」を決めることになります。例えば、配偶者には「配偶者の税額軽減」(相続財産が1億6,000万円または法定相続分相当額まで非課税)という優遇制度があります。この制度を最大限に使えるよう財産の配分を遺言書に書いておけば、遺族が支払う相続税を大幅に抑えられる可能性があります。
しかし自筆証書遺言(法務局保管)では、内容について法務局がアドバイスを一切しないという制度上の限界があります。税務的に不利な遺言書が形式だけクリアして保管される可能性があるわけです。
小規模宅地等の特例と遺言書の記載内容
相続税には「小規模宅地等の特例」という制度があり、被相続人が住んでいた自宅は最大80%の評価減が認められます。ただし、この特例を使えるのは「誰がその不動産を相続するか」という条件が絡み、遺言書の記載内容によっては適用が難しくなる場合があります。遺言書を作成する前に、税理士(特に相続専門)への相談を1回行うだけで、数百万円規模の節税につながることもあります。
遺言書で遺産分割協議を省略できる
金融機関の預金口座の相続手続きでは、通常は相続人全員の署名・実印・印鑑証明書が必要な「遺産分割協議書」の作成が求められます。これが相続人間でもめている場合には数ヶ月以上かかることもあります。
法務局保管の自筆証書遺言(遺言書情報証明書)があれば、銀行における相続手続きがスムーズに進みます。相続人全員が集まらなくても手続きを進められる場面が増えるため、資産が複数の金融機関に分散している方には特に価値ある対策になります。
なお、遺言書の内容設計を専門家に依頼したい場合は、弁護士・司法書士・行政書士・税理士のいずれかに相談するのが一般的です。「相続診断士」や「相続専門のFP(ファイナンシャルプランナー)」などの専門家に相談の上、内容を確定してから自筆証書遺言を作成するという流れが費用対効果の高い方法です。
参考:遺言書保管制度の相続手続きへの活用(法務省FAQ)
自筆証書遺言書保管制度 よくあるご質問(Q20:相続登記・銀行手続きへの活用) – moj.go.jp
遺言を作成した後、「やっぱり内容を変えたい」となるケースは少なくありません。状況の変化(財産の増減・家族関係の変化・相続人の死亡など)に応じて内容を更新することは、遺言書の重要な運用の一つです。
内容変更の方法
法務局保管の遺言書を変更したい場合、推奨されるのは「撤回→廃棄→新規作成→再保管」の流れです。まず保管申請の撤回を行い、法務局から原本の返還を受けます。返還された遺言書を廃棄し、新しい内容の遺言書を改めて作成してから再保管申請を行います。再申請時は改めて3,900円の手数料がかかります。
別の方法として、撤回せずに新たな遺言書を追加保管することも可能です。その場合、法的には「日付が新しい遺言書が優先」というルールが適用されます。しかし新旧2つの遺言書が存在するとその後の手続きが複雑になることがあるため、古い遺言書の撤回と廃棄を先にするほうが整理しやすいです。
撤回できる法務局は限定されている
撤回の手続きは、原本が保管されているのと同じ法務局でしか行えません。引越しで管轄が変わっても、元の法務局まで出向く必要があります。これも見落としがちなルールです。撤回の申請も遺言者本人の出頭が必要です。
住所・氏名の変更は届出が必要
結婚・離婚・引越しなどで氏名や住所が変わった場合は、法務局への変更届出が求められます。届出をしなくても遺言書が無効になるわけではありませんが、死亡後の通知が届かないなどの問題が起きる可能性があります。変更が生じたらすみやかに届出を行う、これが原則です。
特に若い世代が早い段階で遺言書を作成した場合、今後の人生の変化(結婚・子の誕生・不動産の購入など)に応じて定期的に内容を見直す習慣をつけることが、実効性のある相続対策につながります。金融資産の配分を記した遺言書は「一度作って終わり」ではなく、5年に1回程度の見直しを目安にするとよいでしょう。
参考:自筆証書遺言保管制度のデメリット・注意点(弁護士解説)
自筆証書遺言を法務局に保管するデメリットとは?弁護士が解説 – daylight-law.jp