移転価格文書化と国税庁が求める3層構造の全貌

移転価格文書化と国税庁が求める3層構造の全貌

移転価格文書化と国税庁が定める義務・リスクの全解説

取引金額が50億円未満でも、文書の不備で利益全額を追徴課税されることがあります。


この記事の3つのポイント
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3層の文書化義務

国税庁はローカルファイル・マスターファイル・国別報告事項(CbCレポート)の3層構造を義務化。会社規模によって対象が異なるため、まず自社がどの層に該当するかを確認することが先決です。

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「同時文書化義務免除」の落とし穴

取引金額が50億円未満であれば確定申告期限までの作成義務は免除されますが、税務調査時に60日以内の提出を求められる場合があり、対応できないと推定課税が発動します。

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推定課税という「奥の手」

文書を期限内に提出できないと、国税庁が独自に独立企業間価格を推定して課税できる「推定課税」が適用されます。立証責任が納税者に転換されるため、訴訟でも非常に不利になります。


移転価格文書化とは何か:国税庁が義務化した背景


移転価格税制とは、日本の企業と海外の関連会社(国外関連者)の間での取引価格(移転価格)が、第三者との間で通常行われる価格(独立企業間価格)と乖離している場合に、課税所得を独立企業間価格に基づいて再計算する制度です。つまり、税率が低い国の子会社に意図的に利益を移す行為を防ぐ仕組みといえます。


この制度が日本で整備されたのは1986年(昭和61年)のことですが、近年は特に重要度が増しています。その理由は、OECDが主導する「BEPSプロジェクト(税源浸食と利益移転防止策)」の2015年最終報告書を受けて、2016年(平成28年)度税制改正で文書化制度が大幅に強化されたからです。


それ以前は「調査時に提出できれば問題ない」という運用でしたが、改正後は一定規模以上の法人について確定申告期限までの文書化が法律上の義務となりました。つまり「調査が来てから準備する」という後手対応が、法律上できなくなった点が大きな転換です。


国税庁が公表している「移転価格ガイドブック」(2017年6月)は、納税者の自発的なコンプライアンス向上を目的としており、調査対応のみならず日常的な価格設定の管理まで求める姿勢を明確にしています。金融や経理に関わる方が移転価格文書化を「大企業だけの話」と見なすのは危険です。近年は中堅・中小規模の企業でも税務調査で指摘を受けるケースが実際に増加しています。


つまり基本は、海外に子会社や関連会社を持つすべての国内法人が対象です。


国税庁「移転価格ガイドブック~自発的な税務コンプライアンスの維持・向上に向けて~」(公式ページ)


移転価格文書化の3層構造:ローカルファイル・マスターファイル・国別報告事項

国税庁が定める移転価格文書化制度は、以下の3種類の書類から構成される階層構造になっています。この構造を把握しておくことが、コンプライアンス対応の出発点です。


| 文書の種類 | 義務基準 | 提出期限 |
|---|---|---|
| ローカルファイル | 国外関連取引が年50億円以上 または無形資産取引が年3億円以上 | 確定申告書の提出期限まで |
| マスターファイル(事業概況報告事項) | 多国籍企業グループの連結総収入が1,000億円以上 | 会計年度終了日翌日から1年以内 |
| 国別報告事項(CbCレポート) | 多国籍企業グループの連結総収入が1,000億円以上 | 会計年度終了日翌日から1年以内 |


まずローカルファイルは、個々の法人が国外関連者との取引ごとに作成する書類です。取引の内容や独立企業間価格の算定根拠を詳細に記載します。前事業年度の国外関連取引の合計対価が50億円以上、または無形資産取引が3億円以上の場合、確定申告期限までに作成・保存する「同時文書化義務」が生じます。


次にマスターファイル(事業概況報告事項)は、多国籍企業グループ全体のビジネスモデル、組織構造、無形資産の概要などを記載するグループレベルの文書です。連結総収入1,000億円以上のグループに提出義務があります。


最後に国別報告事項(CbCレポート)は、多国籍企業グループが各国ごとに収入金額・税引前利益・納付税額・従業員数などを報告する文書で、国税庁が各国税務当局と情報交換する際に活用されます。これも連結総収入1,000億円以上のグループが対象です。


注意が必要なのは、義務基準が「1,000億円の大企業のみ」ではないという点です。ローカルファイルは比較的小規模な企業にも義務が及ぶ可能性があります。


国税庁「移転価格税制に係る文書化制度(FAQ)令和6年6月版」(PDF・公式)


同時文書化義務の免除は「完全免除」ではない:50億円・3億円基準の正しい読み方

「うちの会社は取引金額が小さいから大丈夫」という認識は、最も危険な誤解の一つです。


同時文書化義務の免除基準は、以下の2つを両方満たす場合に適用されます。


- 前事業年度における一の国外関連者との取引対価の合計が 50億円未満
- 前事業年度における無形資産取引の対価の合計が 3億円未満


この両方に該当する法人については、確定申告書の提出期限(つまり決算後2ヶ月)までにローカルファイルを作成する義務は免除されます。これが「同時文書化義務免除」です。


しかし、ここに大きな落とし穴があります。免除されるのは「期限内の作成義務」だけであり、文書化自体が不要になるわけでは決してありません。税務調査の際に「独立企業間価格を算定するために重要と認められる書類」の提示・提出を税務職員から求められた場合、指定期日から60日以内に対応する義務があります。


60日以内に対応できなかった場合、次のセクションで説明する「推定課税」が発動します。60日というのは、一見余裕があるように聞こえますが、実際に取引を遡って文書を整備するのは膨大な作業です。指摘を受けてから慌てて準備するのでは、到底間に合わないケースも多いです。


「書類を作った」で終わりではありません。年度ごとの更新も必要です。「数年前に1回だけ作った」という状態も、実務上は文書化をしていないのと同じリスクを抱えることになります。


押方移転価格会計事務所「ローカルファイルの作成期限と提出期限」(同時文書化の基準をわかりやすく図解)


推定課税とは何か:文書が出せないと立証責任が逆転する深刻なリスク

推定課税は、国税庁が移転価格文書化制度において持つ「奥の手」です。その仕組みを正確に理解しておくことは、非常に重要です。


通常の課税処分の取消訴訟では、課税処分が適法であることの立証責任は課税庁側にあります。つまり、国税庁が「この取引価格は不正だ」と証明しなければなりません。しかし、推定課税が行われた場合はこの立証責任が逆転し、納税者が「国税庁の推定した独立企業間価格は誤っており、自分の計算が正しい」と立証しなければなりません。これは実務上、非常に高いハードルです。


具体的には以下の流れになります。


1. 同時文書化義務のある取引に係るローカルファイルを、指定期日(45日以内)までに提示・提出できない場合
2. 同時文書化免除取引で「重要と認められる書類」を指定期日(60日以内)までに提示・提出できない場合


これらの状況では、国税庁は「同種の事業を営む法人で事業規模が類似するもの」の売上総利益率を参照した再販売価格基準法または原価基準法により、独立企業間価格を推定して課税できます。これが「推定課税」です。


推定課税を受けた場合、本税に加えて延滞税も発生します。海外子会社側では現地国の税制により、延滞税の利率が日本より高い国もあるため、グループ全体での実負担は思わぬ規模になることがあります。


痛いですね。例えば、税引前利益が2億円の会社に対して2億円相当の移転価格課税が行われるケースも、規模次第では現実に起こりえます。単に文書を用意するだけでなく、日常的な取引価格の管理と記録の積み重ねが最大のリスク回避策です。


東京共同会計事務所「移転価格文書(ローカルファイル)と推定課税」(推定課税の法的根拠と対策を詳解)


独立企業間価格の算定方法:ローカルファイル作成で知っておくべき「基本三法+α」

ローカルファイルの核心は「独立企業間価格の算定」です。そのプロセスを理解しておくことで、文書化対応の実態がよりリアルに把握できます。


独立企業間価格の算定方法は、大きく「基本三法」と「その他の方法」に分類されます。


基本三法は以下の3つです。


- 独立価格比準法(CUP法):比較可能な第三者間取引の価格と直接比較する方法。最も直接的な手法ですが、完全に類似した比較対象取引を見つけるのが難しいのが実態です。


- 再販売価格基準法(RPM):国外関連者から仕入れた商品を再販売する際の価格から利益率を差し引いて独立企業間価格を算出する方法。主に販売機能を持つ企業に適用されます。


- 原価基準法(CPM):製造原価に通常の利益を上乗せして独立企業間価格を算定する方法。製造業に適することが多いです。


これらに加えて、現実に多く使われているのが取引単位営業利益法(TNMM)です。比較可能な独立企業の営業利益率をベンチマークとして用いる方法で、基本三法よりも比較対象の選定が柔軟にできるため、実務でよく採用されます。また、無形資産の評価が絡む取引ではディスカウント・キャッシュ・フロー法(DCF法)が用いられることもあります。


算定方法の選定は、「最も信頼できる比較対象取引・企業が見つかる方法」を採用するという「ベスト・メソッド・ルール」の考え方が国際的な標準です。これが条件です。


国税庁は「ローカルファイル例示集」を公表しており、具体的な書類のサンプルを参照できます。初めて文書化に取り組む担当者は、まずこの資料を確認することをおすすめします。


国税庁「独立企業間価格を算定するために必要と認められる書類(ローカルファイル)作成に当たっての例示集」(PDF・公式)


事前確認(APA)という選択肢:移転価格リスクを事前に封じる独自の戦略

移転価格税制に対応する方法は、文書化だけではありません。あまり知られていないですが、「事前確認(APA:Advance Pricing Arrangement)」という制度が国税庁によって整備されています。


APAとは、納税者が国税庁に申し出て、国外関連取引における独立企業間価格の算定方法とその具体的内容について、事前に当局の確認を得る制度です。確認が得られた期間(通常3〜5年)は、確認された内容に従って取引・申告を行う限り、移転価格の更正処分を受けることはありません。


APA制度の最大のメリットは「課税リスクの排除」です。不確実性が完全になくなるため、国際取引が活発な企業にとっては中長期的なコスト削減にもつながります。さらに相手国の税務当局とも合意する「二国間APA(BAPA)」を活用すれば、国際的な二重課税リスクをも排除できます。


一方でデメリットもあります。申請から確認完了まで通常2〜4年程度かかること、申請時の情報開示が広範囲にわたること、そして専門家費用を含めた対応コストが相当かかることです。そのため、取引規模が大きく、移転価格リスクが高い企業でないと費用対効果が合わない場合もあります。


これは使えそうです。国外関連取引が今後拡大していくフェーズにある企業や、特定の取引に高い課税リスクを感じている企業は、専門家(移転価格に詳しい税理士・公認会計士)への相談を検討する価値があります。


近年は国際課税の強化を受けて、国税庁自身も申出件数の増加に対応すべく担当者の増員など体制整備を進めています。企業側も積極的に活用できる状況になってきています。


国税庁「移転価格税制に関する事前確認の申出及び事前相談について」(APA制度の公式案内ページ)




BEPSで変わる移転価格文書の作成実務―新無形資産ルールと同時文書化への対応