

DCF法で計算すると、割引率をわずか1%変えるだけで企業価値が数千万円単位でズレることがあります。
時価純資産法とは、企業が保有するすべての資産を時価に換算し直し、そこから時価に換算した負債を差し引いた金額を企業価値とする手法です。コストアプローチ(ネットアセットアプローチ)に分類されます。
計算式はシンプルです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 計算式 | 企業価値 = 時価資産合計 ー 時価負債合計 |
| 対象資産 | 不動産・有価証券・売掛金・棚卸資産・無形資産など |
| 時価評価のポイント | 簿価と時価の差額(含み益・含み損)を反映する |
たとえば、帳簿上の純資産が3,000万円の会社でも、所有する土地に2,000万円の含み益があれば、時価純資産は5,000万円になります。逆に、回収不能な売掛金が500万円あれば、差し引いて4,500万円になるイメージです。
つまり貸借対照表の「見た目の数字」ではなく「リアルな価値」を測るのが時価純資産法です。
注意が必要なのは、時価純資産法は将来の収益力を一切考慮しない点です。今は赤字だが将来性のある企業、逆に黒字でも先細りの企業——どちらも「現時点の資産」だけで評価されます。そのため、社歴が長く資産を積み上げてきた成熟企業や、事業を清算するシーンに特に適しています。
また、貸借対照表に載らない無形資産——優秀な人材・独自のノウハウ・ブランド力——は反映されません。これは時価純資産法の大きな限界です。
M&A総合研究所|時価純資産法の計算式・メリット・のれんの扱いを詳しく解説
時価純資産法のデメリットを補うために、実際のM&A現場では「時価純資産+営業権」という形で使われることがほとんどです。これが「修正純資産法」と呼ばれる手法です。
たとえば、時価純資産が5,000万円、過去3年の平均経常利益が1,000万円の会社であれば、営業権は1,000万円×3年=3,000万円となり、企業価値は8,000万円と算出されます。
これは計算がしやすく説明しやすいので、中小企業のM&Aでは最もよく使われる計算式です。
ただし、のれんの「年数」の設定によって価値が大きく変わります。売り手は「5年分」を主張したくなりますが、買い手は「3年分」を主張するケースが多く、交渉の焦点になりやすい部分です。業績が上昇傾向にある企業は、直近年度の利益を重視して平均値を計算する方が、より実態に近い評価になります。
のれんや無形資産の適正な評価には専門家の知見が不可欠です。M&Aアドバイザーや公認会計士に依頼することで、数百万〜数千万円単位の評価額の差を縮められる可能性があります。
M&Aサクシード|営業権を含む時価純資産法の計算方法と実務での活用
DCF法(ディスカウンテッドキャッシュフロー法)は、企業が将来生み出すフリーキャッシュフロー(FCF)を現在の価値に換算して企業価値を求める手法です。インカムアプローチに分類され、M&Aの実務で最も合理的とされる評価方法です。
計算の基本的な流れは以下のとおりです。
ここで重要なのが「割引率」です。割引率とは、将来のお金を現在の価値に換算するときに使う数値で、一般的にはWACC(加重平均資本コスト)が使われます。
非上場の中小企業では、この割引率が10%台半ば〜20%程度に設定されることが多いとされています。そして、割引率をわずか1〜2%変えるだけで企業価値の評価額が数十%以上変動するケースがあるのです。これが、DCF法が「設定次第で結果が大きく揺れる」と言われる理由です。
たとえば年間FCFが1,000万円の事業において、割引率を10%と12%で比較するだけで、企業価値の評価額は数百万〜数千万円単位で変わります。どちらの数値が「正しい」かは一概には言えず、設定の根拠をいかに論理的に説明できるかが実務のカギになります。
辻・本郷FAS|DCF法のメリット・デメリットと他手法との比較表(割引率の感応度も解説)
2つの手法の違いを整理すると、方向性がまったく逆です。時価純資産法は「今ある価値」を測り、DCF法は「これから生み出す価値」を測ります。
| 比較項目 | 時価純資産法 | DCF法 |
|---|---|---|
| アプローチ | コストアプローチ | インカムアプローチ |
| 評価の基準 | 現在の資産・負債(時価) | 将来のキャッシュフロー予測 |
| 将来性の反映 | ❌ 反映されない | ✅ 反映できる |
| 計算の難易度 | 比較的シンプル | 専門知識が必要・複雑 |
| 客観性 | 高い(数値が明確) | 前提次第で変動しやすい |
| 主な使用場面 | 成熟企業・清算・交渉の起点 | 成長企業・M&A最終評価 |
| 相続税評価への使用 | ✅ 利用可能 | ❌ 相続税法では認められない |
特に見落としがちなのが「相続税評価」の場面です。DCF法は将来の予測に依存する手法であるため、相続税法の評価では認められていません。親族への事業承継で自社株の相続税評価を行う際は、必ず時価純資産法(純資産価額方式)や類似業種比準方式を使う必要があります。
一方、M&Aで交渉相手に企業価値を説明する場面では、DCF法の方が「将来の稼ぎを根拠に価格を語れる」ため説得力が増します。実務では、まず時価純資産法で大まかな下限値を把握し、次にDCF法で将来性を加味した価格を算出して併用する手法が多く取られています。
これが原則です。
DCF法は理論的には優れた手法ですが、実務では陥りやすいポイントがいくつかあります。知っているだけで大きなリスクを回避できます。
落とし穴①:事業計画が楽観的すぎると価値が膨らみすぎる
DCF法はFCFの予測値がそのまま結果に直結します。経営者が「5年後には売上2倍」と見込んだ計画を使えば、それだけで企業価値は大幅に増えます。根拠の薄い計画に基づいた評価は、交渉相手から「信頼できない」と判断されます。複数シナリオ(楽観・中立・悲観)を用意することが実務の基本です。
落とし穴②:割引率の設定が「感覚的」になる
割引率は企業のリスクを数値化したものです。中小企業では情報が少ないため、割引率の根拠が曖昧になりがちです。一般的にはWACCを使いますが、非上場の中小企業では10〜20%程度の幅があり、どの数字を採用するかで結果が大きく変わります。公認会計士やM&Aアドバイザーに根拠のある算定を依頼することが現実的な対策です。
落とし穴③:ターミナルバリューの比重が大きくなりすぎる
ターミナルバリュー(TV)は予測期間後の永続的な価値です。永久成長率を0〜1%で設定するのが一般的ですが、この数値がわずかに変わるだけでも企業価値全体に大きな影響を与えます。TVが企業価値全体の60〜70%を占めるケースも珍しくなく、「どこまで現実的な数値か」を常に検証することが必要です。
意外ですね。
DCF法の計算は「精密さ」がウリですが、前提条件の設定次第では「精密に間違えている」状態になるリスクがあります。結果だけでなく、前提と根拠を第三者に説明できるかどうかが評価の信頼性を決めます。
バトンズ|DCF法の計算プロセスとメリット・デメリットをわかりやすく解説
ここまで解説してきた2つの手法を、実際の投資・M&A・事業承継といった場面に当てはめると、もう一つ見えてくる視点があります。それは「売り手と買い手で有利な手法が違う」という点です。
これは使えそうです。
売り手(譲渡企業)にとっては、成長期待を反映できるDCF法の方が高い評価を引き出しやすくなります。特に、将来のキャッシュフローが大きく伸びる事業計画がある場合は、DCF法で算出した価値を根拠に価格交渉を進めることが有利に働きます。
一方、買い手(譲受企業)にとっては、時価純資産法による評価が「損をしない価格の下限」を把握する基準になります。「最悪このくらいの資産価値がある」という安全ラインの確認に使えるのです。
また、類似会社比準法(マルチプル法)と組み合わせることで、3つの視点からクロスチェックを行うのが現在のM&A実務の主流です。EBITDAの8倍といった業界の相場感を参照することで、DCF法や時価純資産法だけでは見えにくい「市場の目線」を取り込めます。
金融に興味がある方がこの2手法を深く理解すると、株式投資においても「自分なりのバリュエーション視点」が身につきます。PBR(株価純資産倍率)は時価純資産法の発想に近く、DCF法の思想はPER(株価収益率)と接点があります。企業価値評価の2軸を理解することは、投資判断の質を根本から高めることにつながります。
日本公認会計士協会|企業価値評価ガイドライン(純資産法・DCF法の計算例を含む公式資料)