

退職給付費用を「費用」として計上しても、税務上は1円も損金に算入されず、節税効果はゼロです。
「退職給付費用」と「退職給付引当金繰入(繰入額)」は、財務や会計を学んでいる方が最初に混乱するポイントのひとつです。結論から言えば、この2つはほぼ同じ仕訳で使われる勘定科目の「名前の違い」であり、処理の実態は共通しています。
「退職給付引当金繰入額」は、以前から使われてきた慣用的な表現です。引当金の処理では「◯◯繰入」という科目名がよく使われるため、簿記の学習でも最初にこちらを覚える方が多いです。
一方、「退職給付費用」は、1998年(平成10年)に企業会計審議会が設定した「退職給付に係る会計基準」において正式に定められた勘定科目名です。この基準が導入されて以降、実務の現場では「退職給付費用」の名称が標準的に使われるようになりました。
つまり現行基準では「退職給付費用」が原則です。
ただし、「退職給付引当金繰入額」という名称が完全に廃止されたわけではありません。実務上どちらを使うかは企業の会計方針によることもあり、簿記検定(日商簿記2級・1級)でも試験の設問によって使われる科目名が異なる場合があります。どちらを使うにせよ、借方に計上される費用科目である点は変わりません。
| 科目名 | 区分 | 使われる場面 |
|---|---|---|
| 退職給付費用 | 費用(P/L) | 現行の会計基準(1998年以降)に基づく正式名称 |
| 退職給付引当金繰入(繰入額) | 費用(P/L) | 慣用的な旧来の表現。引当金の繰入処理であることを強調した名称 |
名前の問題を整理したところで、次に重要なのが「退職給付引当金(B/S科目)」と「退職給付費用(P/L科目)」という2つの概念の違いです。
こちらは科目の種類が根本的に異なります。
退職給付引当金は、貸借対照表(B/S)の「負債の部」に計上される引当金です。将来従業員に支払う退職金のうち、現時点までに発生していると認められる金額を負債として計上したものです。簡単に言えば、「会社が従業員に対して将来支払うべき退職金の見積もり残高」です。
退職給付費用は、損益計算書(P/L)に計上される費用勘定です。毎期の決算において、その年度に新たに積み上がった退職金の見積もり分を費用として認識したものです。これが退職給付引当金(B/S)の増加額と一致します。
この関係を数式で表すと次のようになります。
退職給付引当金(期末残高)= 期首残高 + 退職給付費用 - 退職金支給額(または掛金拠出額)
退職給付費用が「1会計年度の退職給付コスト増加分」であるのに対し、退職給付引当金は「これまで積み上がってきた退職給付コストの累計残高(負債残高)」です。
これが2つの本質的な違いといえます。
退職給付費用は単純に「今年1年分の退職金積立額」だけではありません。会計基準では、以下の5つの要素から構成されています。
たとえば以下のような具体例で考えてみましょう。
| 構成要素 | 金額(万円) | 加算・控除 |
|---|---|---|
| 勤務費用 | 100 | 加算(+) |
| 利息費用 | 15 | 加算(+) |
| 期待運用収益 | 10 | 控除(-) |
| 数理計算上の差異償却額 | 15 | 加算(+) |
| 過去勤務費用償却額 | 10 | 加算(+) |
| 退職給付費用(合計) | 130 |
「退職給付費用=その年の退職金積立額」という思い込みは危険です。「退職給付費用130万円≠その年だけの退職金積立100万円」という計算になります。この多要素構成が、退職給付費用を複雑に見せている要因のひとつです。
退職給付引当金は、以下の計算式によって算定されます。
退職給付引当金 = 退職給付債務 - 年金資産 ± 未認識項目(数理計算上の差異・過去勤務費用)
たとえば「退職給付債務1,000万円・年金資産500万円・未認識項目290万円」の企業であれば、退職給付引当金は「1,000-500-290=210万円」となります。東京ドームのグラウンド面積が約1.3万㎡とすると、この計算のイメージは「大きな義務(債務)から、既に準備してある分(年金資産)と、まだ計上しなくていい分(未認識項目)を引いた残り」が今B/Sに載せる引当金です。
期末の仕訳は次のとおりです。
| 借方 | 金額 | 貸方 | 金額 |
|---|---|---|---|
| 退職給付費用 | 130万円 | 退職給付引当金 | 130万円 |
退職金を実際に支払ったときや、企業年金の掛金を拠出したときは、逆に退職給付引当金を取り崩します。
| 借方 | 金額 | 貸方 | 金額 |
|---|---|---|---|
| 退職給付引当金 | 300万円 | 現金預金 | 300万円 |
退職給付引当金の期末残高は「期首残高+退職給付費用(増加)-退職金支給・掛金拠出(減少)」で管理します。
これが仕訳の基本です。
金融に興味がある方が財務諸表を分析するうえで、必ず押さえておくべき重要事項があります。退職給付費用は会計上は費用として計上されるにもかかわらず、税務上は損金として認められません。
1998年(平成10年)の法人税法改正により、退職給付引当金の繰入額は全額「損金不算入」とされました。この改正以前は「退職給与引当金」として一定の損金算入が認められていましたが、現在はその制度は廃止されています。
税務上、損金として認められるのは以下のタイミングです。
つまり、退職給付費用として毎期P/Lに計上していても、その金額が税金を減らす効果は直接的にはゼロです。会計上の費用と税務上の損金のタイミングが大きくズレるため、法人税の申告書では「申告調整」が必要になります。この点は、財務諸表の「税効果会計」(繰延税金資産)を読み解く際にも重要な前提知識となります。
退職給付引当金の計算方法には「原則法」と「簡便法」の2種類があります。どちらを選ぶかによって、退職給付費用の計算の精度と複雑さが大きく変わります。
原則法は、退職給付に関する会計基準が定める標準的な計算方法です。退職給付債務は「将来の退職給付見込額を期間按分し、割引率によって現在価値に引き直す」という複雑な計算が必要で、通常はアクチュアリー(保険数理人)などの専門家に計算を依頼します。退職率・死亡率・予想昇給率などの統計的な数値を使うため、計算精度は高いです。
簡便法は、従業員数300人未満の中小企業などを対象に認められた簡略化された計算方法です。最も一般的な方法は「期末時点で全従業員が自己都合退職したと仮定した場合に支払うべき退職金総額(期末自己都合要支給額)」を退職給付債務とみなす方法です。計算がシンプルで、専門家に依頼しなくても処理できる点が特徴です。
| 項目 | 原則法 | 簡便法 |
|---|---|---|
| 対象企業 | 従業員数が比較的多い企業 | 従業員数300人未満が目安 |
| 計算の複雑さ | 高い(アクチュアリーへの委託が一般的) | 低い(自社対応も可能) |
| 精度 | 高精度 | 簡易的 |
| 退職給付費用の構成 | 勤務費用・利息費用等の5要素 | 期末要支給額増加分など簡易な計算 |
計算方法が原則か。
選択できるのは原則です。
ただし、300人未満なら簡便法も選べます。なお、一度選択した方法を途中で変更するには正当な理由が必要で、会計方針の変更として開示が求められる点にも注意が必要です。
実際の経理実務で登場する主なケースを整理します。
ケース①:期末に退職給付費用を計上する
当期の退職給付費用が100万円と計算された場合の仕訳です。
| 借方 | 金額 | 貸方 | 金額 |
|---|---|---|---|
| 退職給付費用 | 100万円 | 退職給付引当金 | 100万円 |
ケース②:従業員が退職し、退職金500万円を支払った
積み立ててきた引当金の範囲内であれば、次の取り崩し仕訳を行います。
| 借方 | 金額 | 貸方 | 金額 |
|---|---|---|---|
| 退職給付引当金 | 500万円 | 現金預金 | 500万円 |
ケース③:退職給付引当金の計上額を超えて退職金を支払った場合
たとえば引当金残高が400万円しかないのに、500万円の退職金を支払った場合は、超過分100万円を退職給付費用として処理します。
| 借方 | 金額 | 貸方 | 金額 |
|---|---|---|---|
| 退職給付引当金 | 400万円 | 現金預金 | 500万円 |
| 退職給付費用 | 100万円 |
退職金の支払超過分も費用処理が原則です。このケースを忘れがちな方は多いので、ぜひ押さえておきましょう。
退職給付費用の処理に関する会計基準の詳細は、企業会計基準委員会(ASBJ)の公表文書で確認できます。
企業会計基準委員会による退職給付に係る会計基準の適用指針(最新版)。
退職給付に関する会計基準の適用指針 - 企業会計基準委員会(ASBJ)PDF
金融に興味がある方、特に株式投資や企業分析をしている方にとって、退職給付費用の動向は企業の財務体力を測るうえで重要なシグナルになります。
退職給付費用が大きく増加するタイミングとして代表的なのが、「割引率の低下」です。退職給付債務は将来の支払額を現在価値に割り引いて計算するため、割引率(通常は国債利回りを参考に設定)が下がると、退職給付債務が増加し、それに伴って退職給付費用や退職給付引当金の計上額も膨らみます。
2012〜2016年にかけての超低金利環境下では、多くの上場企業で退職給付引当金が急増し、1社当たり数十億円単位で負債が増加したケースも少なくありませんでした。これが「数理計算上の差異」として積み上がり、翌期以降の退職給付費用を押し上げ続けることになります。
財務諸表を読む際は、以下のポイントに注目すると良いでしょう。
EY Japan(監査法人)による退職給付引当金と退職給付費用の詳しい解説(権威ある一次情報として参照価値あり)。
退職給付引当金と退職給付費用 - EY Japan(公認会計士による解説)
これは多くの投資家や経理担当者が見落としがちな独自視点の話です。退職給付費用は毎期コツコツと計上されるように見えますが、実は「一気に大きな費用が計上されるケース」が存在します。
その代表例が「数理計算上の差異の即時認識」です。通常、数理計算上の差異は平均残存勤務期間(例:10年)にわたって分割して費用処理します。しかし、連結財務諸表においてIFRS(国際財務報告基準)やASC715(米国基準)を適用している企業や、日本基準でも「即時認識」を選択している企業では、差異が発生した年度に全額を一括費用処理します。
たとえば、年金資産の運用が期待を大きく下回った年に「数理計算上の差異100億円」が発生したとします。10年償却であれば年間10億円の費用増ですが、即時認識を採用すると、その年に一度に100億円が退職給付費用として計上されます。これが一因となり、営業利益は黒字なのにその他の包括利益を通じて純資産が急減したり、最終損益が赤字に転落したりするケースが実際に起きています。
財務諸表を読む際には「注記情報」も必ず確認しましょう。退職給付に関する注記には、退職給付債務の残高・年金資産の時価・数理計算上の差異の未認識残高などが記載されています。これらを見ることで、「今後、退職給付費用が増加するリスク」を事前に察知することが可能です。
ここまでの内容を踏まえて、混同しやすいポイントを整理しておきます。
混同①:退職給付費用=税務上の損金 → ×
退職給付費用は会計上の費用であり、税務上の損金ではありません。損金算入のタイミングは退職金の支払い時または掛金の拠出時です。この違いを誤解すると、法人税の計算で大きなミスが生じます。
混同②:退職給付費用=退職金の支払額 → ×
退職給付費用は「見積もりに基づく当期発生額」であり、実際に支払った退職金の額とは一致しません。実際の退職金支払いは引当金の取り崩し処理で対応します。
混同③:退職給付引当金は中小企業には関係ない → △
退職金制度を持つ企業はすべて、規模に関わらず退職給付引当金の計上が原則として求められます。ただし従業員数300人未満の企業には「簡便法」という簡略化された計算方法が認められています。
混同④:退職給付費用と退職給付引当金繰入は全く別の処理 → ×
どちらも同じ仕訳で使われる「費用科目の名称の違い」です。使う企業の会計方針によって科目名が変わるだけで、借方・貸方の構造は同じです。
税務上の取り扱いについては、国税庁が発信している公式情報が確認に役立ちます。
退職給付会計に係る税務上の取り扱い(国税庁公式)。
退職給付会計に係る税務上の取扱いについて - 国税庁
退職給付費用の損金不算入・繰延税金資産の取り扱いも含めた実務知識を深めたい場合は、IICパートナーズによる退職給付会計の全体像解説も参照価値があります。
退職給付会計の全体像(図解)と計算構造の詳細。
図解でわかる!退職給付会計の全体像 - IICパートナーズ(アクチュアリー・公認会計士監修)