

KAMを「どうせ形式的な文書」と思い込んでいると、あなたは投資判断に使える重要リスク情報を毎年無料で見逃し続けることになります。
KAMとは「Key Audit Matters(キー・オーディット・マターズ)」の略で、日本語では「監査上の主要な検討事項」と訳されます。監査人が財務諸表の監査を行う過程で、監査役等とコミュニケーションを取った事項の中から、職業的専門家として特に重要と判断した事項を指します(監査基準報告書701第7項)。
2018年7月に「監査基準の改訂に関する意見書」によって日本に導入が決定し、2021年3月期決算から全上場会社等に強制適用されました。つまり、現在では上場企業の有価証券報告書には、必ずKAMが記載されているということです。
それ以前の監査報告書は「短文式」と呼ばれ、監査意見(適正か否か)しか書かれておらず、どのような過程で監査が行われたかがまったくわかりませんでした。監査の中身がブラックボックスだったわけです。KAMの導入により、その透明性が大きく向上しました。
| KAM導入前(短文式) | KAM導入後 |
|---|---|
| 監査意見のみ記載 | 特に注意した事項の内容・理由・対応を記載 |
| どの会社も同じような文言 | 各社固有のリスクや状況が反映される |
| 監査プロセスはブラックボックス | どのように監査したかが一定程度わかる |
KAMの記載は3つの要素で構成されています。① 監査上の主要な検討事項の内容及び決定理由、② 監査人が当該事項をKAMと判断した理由、③ 当該事項に対する監査上の対応、この3点がセットで記載されることが法律上の義務となっています。
KAMの記載が義務づけられているのは、金融商品取引法(金商法)に基づいて有価証券報告書を提出しなければならない会社です。
原則として全上場会社が対象になります。
ただし、適用除外があります。非上場会社のうち「資本金5億円未満または売上高10億円未満、かつ負債総額200億円未満」の会社はKAMの記載義務がありません。この条件を満たせない規模の非上場会社(たとえば社債を発行して有価証券報告書提出義務がある会社)はKAMの記載対象になります。
注意が必要なのは、会社法上の監査(会社法監査)にはKAMの記載義務がない点です。つまり、上場会社であっても、株主総会前に配布される「計算書類の監査報告書」にはKAMは記載されない場合があります。KAMが記載されるのはあくまで金商法上の有価証券報告書に添付される監査報告書です。
これは多くの人が誤解しがちなポイントです。
また、2021年3月期に一斉適用が始まる前から、一部の会社は「任意適用(早期適用)」という形でKAMを先行して記載していました。代表的な例としてキヤノン株式会社(2019年12月期)などがあります。早期適用は主要な上場会社が先行してノウハウを蓄積する段階でした。
日経平均株価の時価総額上位に位置する日本主要企業200社(IFRS任意適用100社・日本基準100社)の2023年度KAMを調査した結果、以下の7項目で全体の約9割を占めることが明らかになっています。
これらの項目のうち、「のれん評価」についての傾向は特徴的です。IFRS任意適用の日本企業では多くKAMに選ばれる一方、日本基準適用の企業では相対的に少ない傾向があります。理由は、日本基準ではのれんが毎期定額償却されるのに対し、IFRSではのれんを非償却として毎期減損テストに依拠するため、見積りの不確実性が格段に高くなるからです。これは企業のKAMを読む際に重要な視点です。
日本企業の1社あたり平均KAM個数は、IFRS任意適用企業で1.75個、日本基準企業で1.56個(2023年度)でした。英国主要企業の平均2.91個、欧州大陸主要企業の平均2.63個と比べると、日本企業の記載個数は少ない水準です。
のれん減損はKAMの中でも代表的な項目です。ここでは実際の記載例に近い形で構造を解説します。
【記載例のイメージ:のれん減損】
| 構成要素 | 具体的な記載内容の例 |
|---|---|
| KAMの内容と決定理由 | 会社はA事業に係るのれん○○百万円(税引前当期利益の○○%相当)を計上しており、当該のれんの減損損失の認識及び測定は、経営者の将来キャッシュ・フローの見積りに大きく依存するため不確実性が高い。よって、当監査法人はこれをKAMに決定した。 |
| 監査上の対応 | 内部統制の評価、事業計画の仮定(成長率・割引率)の合理性の検討、過去の計画実績の比較分析、当監査法人のネットワーク・ファームの評価専門家の関与による公正価値の検証等を実施した。 |
記載例の中で特に重要なのは「当期純利益の○○%に相当」という記述です。金額の絶対値だけでなく業績全体に対する影響度が示されることで、投資家はその重要性を直感的に理解できます。例えば「のれん減損損失1,000百万円(税引前当期利益の70.9%)」と記載されていれば、ほぼ会社の年間利益に匹敵する規模の減損リスクが存在することが一目でわかります。
次に、「監査上の対応」の記載の充実度がKAMの質を左右します。単に「見積りを検討した」とだけ書かれているものは情報価値が低く、「評価専門家をどのように関与させたか」「どの仮定のどの部分を具体的に検証したか」が記載されているものほど、投資家にとって有用な情報となります。
繰延税金資産の回収可能性は、固定資産の減損と並んで最も多く選定されるKAM項目の一つです。この項目のKAMには、将来の課税所得の見積りが適切かどうかを監査人がどのように検証したかが記載されます。
繰延税金資産のKAMを読む際に確認すべきポイントは主に3つです。第一は、将来の課税所得の見積期間とその根拠です。長期にわたる課税所得の見積りに依存しているほど、将来の業績が悪化した際に繰延税金資産の一括取崩しが発生するリスクがあります。第二は、有価証券報告書の注記「重要な会計上の見積り」との整合性です。KAMに記載された見積りの前提と、この注記の内容が食い違っていれば、開示の信頼性に疑義が生じます。
つまり注記との照合は必須です。
第三は、前年度のKAMと比較した変化点の有無です。前年度から繰延税金資産の取崩し額が増加しているにもかかわらず、KAMの記載内容が前年とほぼ変わらない場合は、金融庁が指摘する「ボイラープレート化(画一的な記載)」の疑いがあります。ボイラープレート化したKAMはコピー&ペーストに近く、会社固有のリスクが反映されていないため、情報価値が著しく低下します。
収益認識のKAMは、特に建設・不動産・ソフトウェア開発・小売業などで多く見られます。工事進行基準や変動対価の見積りなど、判断が複雑な収益計上方法を採用している企業では、監査人が特に注意を払った根拠とその検証手続きが記載されます。
収益認識KAMで最も参考になるのは「監査上の対応」欄です。例えば「工事の進捗管理に用いられる管理資料を査閲し、最新の工事原価総額の見積りとの整合性を評価した」「経営者や工事管理者の責任者等に実行予算の策定・管理方法をヒアリングした」といった具体的な手続きが記載されていれば、監査の深度を評価できます。
組織再編(M&A)のKAMは、その年度に大型買収を行った企業に特有の記載となります。取得価額の配分やのれん計上額の妥当性について、評価の専門家(バリュエーション専門家)をどう活用したか、どの仮定に最も不確実性があるかが記載内容の核心です。M&Aを実施した企業の投資判断を行う際には、組織再編KAMを有価証券報告書の「企業結合等注記」と必ず合わせて読んでください。取得原価の内訳や将来の連結損益への影響額が注記に詳しく記載されており、KAMと組み合わせることで理解が格段に深まります。
金融庁は毎年「KAMの特徴的な事例と記載のポイント」を公表しており、質の高い記載例(好事例)と、改善が必要な記載例(問題のある事例)の両方を明示しています。好事例と問題事例の違いを理解すると、有価証券報告書のKAMを読む際の判断基準が身につきます。
好事例の特徴は以下のとおりです。
一方、問題のある記載例としては、以下のようなものが指摘されています。同一監査法人が担当する別業種の2社のKAMが内容・文言ともにほぼ同一だった事例(ボイラープレート化の典型)や、KAMの記載内容と有価証券報告書の注記内容が食い違っている事例、さらに内部統制報告書に「開示すべき重要な不備」が記載されているにもかかわらず、KAMに関連する言及がない事例などです。金融庁の2023年公表資料によれば、前年と今年のKAMの文字列類似度が75%以上の企業が、全体の半数以上を占めているという分析結果が示されています。
KAMを実際に確認するには、金融庁が運営する無料の電子開示システム「EDINET(エディネット)」を使います。EDINETは24時間365日、誰でも無料でアクセスできます。
手順はシンプルです。
KAMの確認に役立つ追加ツールとして、KAMにはXBRL(財務情報のデータ規格)タグが付与されているため、2021年3月期以降のKAMはデータベースとして横断検索が可能です。同業他社のKAMを一覧で比較したい場合などに活用できます。
注記事項との照合を実際に行う際は、KAMに「連結財務諸表注記事項(連結損益計算書関係)※5減損損失をご参照ください」のような参照先が記載されていれば、必ずその注記も開いてください。注記には「翌年度の財務諸表に重要な影響を及ぼすリスクがある見積り」が金額付きで記載されており、KAMと合わせて読むことで、どの程度のリスクがどのような条件で顕在化するかを把握できます。
金融庁 EDINET(電子開示システム):有価証券報告書を無料で閲覧できる公式サービス
先述のとおり、2023年度の日本主要企業のKAM平均個数は1社あたり1.56〜1.75個です。英国の2.91個、欧州大陸の2.63個と比べると明らかに少ない状況です。個数が少ないことが直ちに問題とはいえませんが、「量より質」という観点に立っても、一部の分析では記載内容のボイラープレート化という別の問題も並行して指摘されています。
日本証券アナリスト協会の調査(2022年)では、アナリスト103人のうち「KAMを読んだことがある」と答えたのは37人(35.9%)に過ぎず、64.1%は「読んだことがない」と回答しました。KAMはまだ利用者の認知が低いのが現実です。ただしこれは逆に言えば、KAMを読んでいる投資家やアナリストは、読んでいない多数派より一歩進んだ情報を得ているということでもあります。
日本企業のKAMが少ない背景については、のれんの会計処理の違いが一因として挙げられています。日本基準ではのれんを毎期定額償却するため減損テストへの依拠が少なく、KAMとして選定されにくい構造があります。また、金融庁の勉強会でも「KAMとなる項目の選定ハードルが高すぎる」との指摘が出ており、選定基準の運用が厳しめになっている可能性も示唆されています。
金融庁「監査上の主要な検討事項(KAM)の特徴的な事例と記載のポイント2022」:好事例・問題事例・類似度分析をまとめた公式資料
KAMに関しては、記載が義務づけられている会社でも「KAMとして報告すべき事項がない場合」には、その旨を記載して具体的なKAMを省略できる規定があります(監査基準報告書701第14項)。しかし、これは実務上きわめてまれなケースであり、ほぼすべての上場会社でなんらかのKAMが記載されています。
それ以外に注意すべきは、監査意見が「意見不表明」となった場合です。
この場合はKAMの記載も省略されます。
意見不表明とは監査人が監査意見を形成できない状態であり、財務諸表の信頼性に重大な疑義が生じていることを意味します。これはKAMの記載がないこと以前に、財務報告全体の信頼性に関わる重大なシグナルです。
また、金融庁の資料では「KAMを記載していない」事例も問題のある事例の一つとして指摘されています。義務対象であるにもかかわらずKAMが空欄になっているケースは、開示の適切性という観点から問題があります。こうした企業の有価証券報告書を読む際には、さらに細心の注意が必要です。
KAMを投資判断に活かす上で、他のどの解説記事でもあまり取り上げられない視点があります。それは「前年度との変化点」に集中して読むという方法です。
同じ会社のKAMを前年度と比較して、次の3パターンに着目します。
この「変化点読み」は、株価や業績の先行指標として機能する可能性があります。KAMに新たなリスク項目が追加された翌四半期以降に、その領域での損失計上が行われるケースが実務上報告されています。例えば「のれんの減損の兆候に関するKAM」が記載されると、その後の決算で実際に減損損失が計上されるシグナルになり得ます。これは通常のIR情報では入手しにくいレベルの先行情報です。
日本証券アナリスト協会「証券アナリストに役立つKAMの好事例集2022」:現役アナリスト目線で選んだ優良KAM27社の詳細解説(無料PDF)