

上場企業の株式を持っているだけでは、取締役全員の報酬額を知る権利はありません。
役員報酬の決め方と開示の根拠は、会社法第361条に定められています。つまり、これが原則です。
同条1項は、取締役が職務執行の対価として受け取る財産上の利益すべてを「報酬等」として定義しており、現金の基本給だけでなく、賞与・ストックオプション・譲渡制限付株式(RS)なども含まれます。
定款に定めがない限り、報酬等の額や算定方法は株主総会の決議によって定めなければならないとされています。これは「お手盛り(取締役が自分の報酬を自由に決める)」の弊害を防ぐための規制です。
ただし、株主総会での決議で求められるのは「報酬総額の上限」だけです。
多くの上場企業では、「取締役全員で年間○億円以内」という枠を株主総会で承認し、実際の各取締役への配分は取締役会や代表取締役に一任する形をとっています。つまり、株主が承認した枠の中で誰がいくら受け取るかは、必ずしも株主の前に開示されるわけではありません。
この構造が、「開示義務があるはずなのに、個別の金額が見えない」という状況を生み出しています。
なお、会社法に基づく開示義務(事業報告への記載)は、原則として「公開会社」に課されています。公開会社とは、発行する株式の全部または一部について譲渡制限を設けていない会社のことで、上場企業はほぼすべてこれに該当します。非上場の中小企業・非公開会社には、この開示義務は原則ありません。
公開会社の事業報告に基づく役員報酬開示義務の詳細解説(弁護士による解説)
役員報酬の開示制度は、「会社法」と「金融商品取引法(金商法)」の2つに基づいています。これが制度理解の肝です。
| 比較項目 | 会社法(事業報告) | 金融商品取引法(有価証券報告書) |
|---|---|---|
| 対象会社 | 公開会社(非上場含む) | 上場企業など有価証券報告書提出義務のある会社 |
| 開示書類 | 事業報告(定時株主総会で公開) | 有価証券報告書(金融庁EDINETに掲載) |
| 個別開示の義務 | 原則なし(総額・員数のみ) | 1億円以上の役員は氏名・金額を個別開示 |
| 決定方針の開示 | 上場会社等は義務(2021年〜) | 有価証券報告書でも同様に開示要 |
会社法の事業報告には、役員区分(取締役・監査役など)ごとの「報酬の総額と員数」を記載する義務があります。しかし、誰がいくら受け取ったかという個人別の金額は、会社法の事業報告では原則として開示義務がありません。
一方で、金商法に基づく有価証券報告書の記載を定める「企業内容等の開示に関する内閣府令(開示府令)」が2010年3月に改正・施行され、上場企業の役員で年間1億円以上の報酬を受ける者については、氏名と報酬の種類ごとの金額の個別開示が義務付けられました。
つまり、「個別開示は会社法ではなく金商法ベースの規制」というのが正確な理解です。
注意したいのは、この「1億円の壁」が意図的に利用されるケースがある点です。報酬額が1億円を超えると個別に氏名が公表されるため、1億円をわずかに下回るよう設計されるケースがあると専門家の間でも指摘されています。実際、報酬設計のコンサルタントからは「1億円の壁を意識して制度設計を調整している企業が一部存在する」という声もあります。
1億円の壁と役員報酬設計の実態(マーサーによる報酬コンサルタントの解説)
2021年は、役員報酬開示の在り方が大きく変わった転換点です。
2021年3月1日に施行された改正会社法(令和元年法律第70号)では、上場企業を中心に取締役の報酬制度の透明性を高めるための複数の改正が行われました。中でも特に重要なのが以下の4点です。
① 個人別報酬の決定方針の義務付け(会社法361条7項)
指名委員会等設置会社を除く上場会社等では、株主総会決議または定款で個人別の報酬額が明確に定められていない場合、「個人別報酬の決定に関する方針」を取締役会で決定し、事業報告で開示することが義務となりました。
この義務は、「監査役会設置会社(公開会社かつ大会社で有価証券報告書提出義務のある会社)」と「監査等委員会設置会社」が対象です。
② 非金銭報酬の株主総会決議事項の明確化
株式報酬やストックオプション(新株予約権)を取締役の報酬として付与する場合、その「具体的内容」を株主総会で決議することが明確化されました。これにより、隠れた報酬の設計に一定の歯止めがかかりました。
③ 株式・新株予約権に関する特則
取締役が払込みなしに株式・新株予約権を受け取れる規定(現物出資構成・相殺構成)を整備し、株式報酬の付与をよりスムーズかつ透明に行える仕組みが整備されました。
④ 事業報告による開示の充実(施行規則121条)
報酬等の決定方針の内容、各取締役への報酬の算定方法・業績連動指標の内容、第三者への委任内容(いわゆる「再一任」)などが、事業報告の記載事項として追加されました。
これは実務に直結するポイントです。
なお、仮に「報酬等の決定方針を定めずに各取締役の個人別報酬を決定した」場合、その決定は無効になると解釈されている点には留意が必要です。
令和元年改正会社法と役員報酬規律の変更点の詳細解説(TMI総合法律事務所)
そもそも、なぜ会社法は役員報酬の開示を求めるのでしょうか?
会社法が役員報酬の開示を規定する最大の目的は、「お手盛り防止」と「株主・投資家へのアカウンタビリティ(説明責任)の確保」です。取締役は株主から会社経営を委任されている立場であり、自分の報酬を自由に決められる立場にありません。その抑止策として、株主総会決議と開示の仕組みが設けられています。
投資家の立場から見ると、役員報酬の開示情報は企業のガバナンス(統治)水準を測る重要な指標になります。具体的には次のような観点から活用できます。
- 報酬の構造を確認する:固定報酬・業績連動報酬・非金銭報酬(株式報酬)の比率が、経営陣の短期・長期インセンティブのバランスを反映しています。業績連動比率が高い会社は、株主と経営陣の利害が一致しやすいとされています。
- 報酬総額と業績の相関を見る:企業の売上や利益が落ちているにもかかわらず役員報酬総額が増加しているケースは、ガバナンス上の懸念材料になります。
- 開示の質を比較する:事業報告や有価証券報告書における報酬の記述が詳細かつ論理的な会社は、一般的にIR(投資家向け情報開示)の姿勢が高いと評価されます。
実際、コーポレートガバナンス・コード(東京証券取引所が定める指針)では、プライム市場上場会社に対して「独立社外取締役を過半数とする任意の指名・報酬委員会の設置」を求めています。
開示内容の充実度を定時株主総会や有価証券報告書で毎年チェックすることが、長期投資家にとって欠かせない習慣です。
有価証券報告書はEDINET(金融庁の電子開示システム)で誰でも無料で閲覧できます。EDINET(https://disclosure2.edinet-fsa.go.jp)で企業名を検索し、最新の有価証券報告書の「役員の報酬等」の項目を確認することが最短のアクセス方法です。
役員報酬の決定と善管注意義務・監査役の視点からの解説(EY Japan)
役員報酬開示の話で、一般に見落とされやすいポイントが2つあります。これは意外です。
退職慰労金は「報酬」に含まれる
役員退職慰労金は、商法時代には「報酬等」の対象外と整理される場面もありましたが、現在の会社法のもとでは「職務執行の対価として支払われるもの」と解釈され、会社法361条の「報酬等」に該当すると判例・通説で確立されています。
したがって、退職慰労金の支給についても株主総会の決議が必要であり、事業報告の記載対象にもなります。多くの中小企業では「退職慰労金規程に一任」という形で決議し、個別の金額を開示しないケースがありますが、公開会社ではこの運用には慎重な確認が必要です。
海外親会社・グループ会社からの報酬も合算対象
有価証券報告書で開示対象となる「1億円以上の役員報酬」の判定には、国内の当該会社から受け取る報酬だけでなく、連結ベースでの報酬総額(海外子会社・グループ会社からの支給分を含む)が合算される場合があります。
これは、日産自動車のカルロス・ゴーン元会長事件(有価証券報告書虚偽記載事件)以降、より厳格に適用が意識されるようになった論点です。日産事件では、将来の受け取りを約束した報酬を報告書に記載しなかったとして虚偽記載が認定され、法人に対しては24億円超の課徴金勧告が行われました。
有価証券報告書に虚偽記載を行った場合の罰則は重く、個人については10年以下の拘禁刑または1,000万円以下の罰金(あるいはその両方)、法人については7億円以下の罰金が定められています(金融商品取引法197条)。
なお、会社法上の事業報告に虚偽記載を行った場合も、会社法上の過料・刑事罰の対象となる可能性があります。
投資家が有価証券報告書の「役員の報酬等」欄を読む際には、本人の国内報酬だけが記載されているのか、グループ会社からの支給も含む「連結報酬」として記載されているのかを確認することが重要です。
日産有価証券報告書虚偽記載・課徴金事件の詳細解説(コーポレート・リーガルニュース)