

養育費の未払いに直面したとき、「強制執行」という言葉は知っていても、実際に1円も回収できずに諦めてしまう人が後を絶ちません。
養育費の強制執行とは、裁判所を通じて相手方の財産や給与を強制的に差し押さえる手続きのことです。支払義務がある相手が任意で支払いに応じない場合の、最終的かつ強力な回収手段です。
ただし、強制執行にはいくつかの重要な条件があります。特に注意が必要なのが「債務名義」の存在です。債務名義とは、誰が誰にどのような請求権を持っているかを証明する公文書のことで、これがなければ強制執行を申し立てることはできません。
具体的には以下の書類が債務名義として認められています。
ここで注意が必要です。夫婦間だけで作成した離婚協議書や合意書、さらには公証役場で作った公正証書でも「強制執行認諾文言(執行受諾文言)」が入っていないものは、強制執行の根拠になりません。「公正証書を作ったから大丈夫」と思い込んでいると、いざというときに何もできなくなります。
つまり、書類があれば必ず強制執行できるわけではない、ということです。
また、強制執行を申し立てるためには、相手の現住所と、差し押さえ対象となる財産・勤務先の情報も事前に把握しておく必要があります。離婚後しばらく経ってから強制執行を検討する場合、相手が転居・転職しているケースは珍しくありません。住所は戸籍の附票や住民票を取り寄せて確認できます。
差し押さえが可能な財産の種類と差し押さえ可能な金額の目安を整理すると、以下のとおりです。
| 財産の種類 | 差し押さえ可能な範囲 |
|---|---|
| 給与(賞与含む) | 手取り額の2分の1まで(手取りが66万円超の場合は総額から33万円を控除した残額) |
| 預貯金 | 申し立て時の口座残高を上限として制限なし |
| 生命保険 | 解約返戻金相当額 |
| 不動産・自動車 | 売却額(ローン残債がある場合は控除後の残額) |
| 現金 | 総額から66万円を差し引いた残額 |
養育費の回収で最もよく使われるのは、給与と預貯金の差し押さえです。とくに給与差し押さえは、未払い分だけでなく将来分まで継続して差し押さえられるという、養育費特有の強力な権利があります。
参考リンク(養育費強制執行の具体的な条件と手続きの流れを弁護士が解説)。
養育費の強制執行とは?差し押さえの条件や手続の流れ、注意点を解説! | アディーレ法律事務所
強制執行は「申し立てたら即座にお金が入ってくる」ものではありません。実際にはいくつかの手順を踏む必要があります。ここでは養育費の強制執行における具体的な流れを、5つのステップで解説します。
ステップ① 相手の住所・財産・勤務先を調査する
強制執行を申し立てるには、差し押さえる財産を特定しなければなりません。相手の住所が不明な場合は、戸籍の附票を取得して確認します。勤務先や銀行口座がわからない場合には、「財産開示手続」または「第三者からの情報取得手続」という裁判所の手続きを利用できます。
財産開示手続は後述しますが、2020年の改正民事執行法の施行によって実効性が大幅に向上しています。弁護士に依頼すれば「弁護士会照会」によって銀行口座の有無や取引状況を調査できる場合もあります。
ステップ② 必要書類を準備する
強制執行の申し立てには、複数の書類を揃える必要があります。
書類の準備は煩雑で、見落としがあると申し立てが却下されることもあります。慎重に確認しましょう。
ステップ③ 裁判所へ強制執行を申し立てる
書類が揃ったら、原則として債務者(相手)の住所地を管轄する地方裁判所に申し立てます。申し立て時にかかる費用は以下のとおりです。
| 費用の種類 | 金額の目安 |
|---|---|
| 申立手数料(印紙代) | 4,000円(債権者1人・債務者1人・債務名義1通の場合) |
| 郵便切手代 | 3,000円〜4,000円程度 |
裁判所に対して支払う費用そのものは比較的低額です。ただし、弁護士に手続きを依頼する場合は別途弁護士費用がかかります。弁護士費用の相場は後の項目で詳しく解説します。
ステップ④ 差押命令が出される
裁判所が申立書を審査し、問題がなければ差押命令が出されます。この命令は、相手(債務者)と第三債務者(相手の勤務先や取引銀行)に送達されます。第三債務者は陳述書を裁判所に返送する義務があります。
ステップ⑤ 養育費を取り立てる
給与差し押さえの場合、差押命令が相手の勤務先に送達されてから1週間が経過すると、申立人が勤務先に直接連絡して取り立てができるようになります。将来分まで差し押さえていれば、以後は毎月、相手の勤務先から直接振り込みが行われる仕組みです。
これが基本の流れです。
参考リンク(裁判所公式による債権執行の手続き概要)。
債権執行(養育費等に基づく差押え)|裁判所
強制執行を進める上で、費用の見通しを立てておくことは非常に重要です。「費用をかけて動いたのに1円も回収できなかった」というケースを避けるためにも、事前に確認しておきましょう。
裁判所への申立費用は前述のとおり、印紙代と郵便切手代を合わせても1万円以下が基本です。費用的には低い水準です。
問題は、弁護士費用です。強制執行の申し立て手続きは書類が多く複雑なため、多くの方が弁護士に依頼します。弁護士費用の一般的な相場は以下のとおりです。
たとえば、月額5万円の養育費が2年間未払いの場合、未払い総額は120万円になります。この金額に対して報酬金率15%であれば、回収できても18万円の報酬金が発生します。着手金と合計すると、実質的に手元に残る金額はかなり減ります。
費用が気になる場合は、法テラス(法律扶助制度)の活用を検討してください。収入・資産が一定基準以下であれば、弁護士費用の立替制度が利用できます。自己負担を抑えながら専門家のサポートを受けられる選択肢です。
また、強制執行を申し立てても必ずしも回収できるわけではない、という現実も知っておく必要があります。相手が退職・転職していて給与差し押さえが空振りになるケース、預貯金口座の残高が乏しいケース、相手が別口座に資金を移してしまうケースなどが発生しえます。費用対効果の観点から、まず弁護士に無料相談して回収可能性を確認することが賢明です。
参考リンク(法テラスの離婚・養育費関連費用の目安)。
離婚等請求事件 費用の目安|法テラス
2020年4月に施行された改正民事執行法は、養育費の強制執行に関わる手続きを大きく変えました。金融に興味のある人なら、「法改正が実際に回収力にどう影響するか」という視点から理解しておく価値があります。
改正の最大のポイントは、財産開示手続への制裁が刑事罰に強化されたことです。
改正前は、債務者が裁判所への出頭を無視したり虚偽の陳述をしたりした場合の制裁は「30万円以下の過料」でした。行政上の金銭的制裁にすぎず、無視されるケースが多かったのが実態です。
改正後は「6か月以下の懲役または50万円以下の罰金」という刑事罰が科されるようになりました。前科がつく可能性もあるため、心理的な抑止力は大幅に強まっています。
加えて、改正によって以下の情報取得手続きも整備されました。
これらは養育費などの定期的な支払いを求める「特定債権者」に限って、財産開示手続を経ずに直接申し立てられるケースもあります。以前は「相手の口座がどこにあるかわからない」という壁に阻まれることが多かった養育費回収が、格段に進めやすくなりました。
意外に思えるかもしれませんが、改正前の制度では財産開示手続に出頭しなくても「過料」程度しか制裁がなかったため、無視されることが珍しくなかったのです。改正によってその構造が根本から変わったということです。知らなかった方は、ぜひこの変化を自分の行動に活かしてください。
参考リンク(法務省公式による改正民事執行法の概要)。
民事執行法及び国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約の実施に関する法律の一部を改正する法律について|法務省
現在(2026年2月)まさに施行直前・施行直後のタイミングで、養育費に関する制度が大きく変わっています。金融リテラシーの高い読者であれば、この新制度の意味を正確に理解しておく必要があります。
法定養育費制度(2026年4月1日施行)とは
2026年4月1日から施行された改正民法により、「法定養育費」という制度が始まりました。離婚時に養育費の取り決めをしていなかった場合でも、子どもと一緒に暮らしている親が、もう一方の親に対して子ども1人あたり月額2万円の養育費を請求できる制度です。
従来は「取り決めがなければ請求の根拠がない」という状態でしたが、法律上のデフォルト金額が設定されたことになります。取り決めがないまま離婚してしまった方でも、新制度の対象となります(2026年4月1日以降に離婚した場合が対象)。
なお、月2万円という金額については「少なすぎる」という意見もあります。食費・教育費・医療費などを考えれば、月2万円は最低限の暫定措置として捉えるのが現実的です。別途、養育費算定表に基づく適正額での取り決めを行うことが推奨されます。
遅延損害金という「見えない損失」
養育費が支払われない期間には、遅延損害金(延滞金)が発生します。この点を知らずに放置していると、後で大きな損失につながりかねません。
遅延損害金の計算式は以下のとおりです。
月5万円の養育費が12か月間未払いだった場合の計算例を示します。
つまり、放置すればするほど相手への請求額は増えていきます。逆に支払い側からすると、早期に解決しないと支払い総額が膨らみ続けるということです。なお、2020年4月以前に支払期限が到来した未払い分については年利5%が適用されます。
先取特権の付与という重要な変化
2026年4月施行の改正民法により、養育費の未払い分には「先取特権」が付与されるようになりました。これは養育費債権に一般債権より優先した回収権が認められるということで、実質的に裁判手続きなしで差し押さえが可能になるという大きな変化です。
日本では母子世帯への養育費の支払い状況について、統計上7割以上が未払いという実態があります(こども家庭庁・全国ひとり親世帯等調査)。この問題への対策として、制度が段階的に強化されてきたわけです。2026年の改正はその集大成のひとつと言えます。
参考リンク(こども家庭庁による養育費法改正の公式解説)。
民法等改正について|ひとり親家庭のためのポータルサイト(こども家庭庁)