

類似会社比較法の計算結果は、選ぶ指標1つで評価額が数億円単位でズレることがあります。
類似会社比較法とは、評価対象の企業と事業内容・規模・収益構造が似た上場企業を選び出し、その上場企業の株価と財務指標から「倍率(マルチプル)」を計算して、非上場企業の価値を推計する手法です。英語では "Comparable Companies Analysis"(CCA)とも呼ばれ、M&Aや事業承継の場面で広く活用されています。
なぜ上場企業を比較対象にするのかというと、上場企業には有価証券報告書・決算短信・会社四季報など、財務情報が公開されているからです。だれでも同じデータにアクセスできるため、評価の客観性を保ちやすいという利点があります。
この手法が属するのは「マーケットアプローチ」と呼ばれる体系です。企業価値評価には大きく3つのアプローチがあります。
- コストアプローチ:保有資産と負債をベースに評価(例:時価純資産法)
- インカムアプローチ:将来の収益・キャッシュフローをベースに評価(例:DCF法)
- マーケットアプローチ:市場で成立している価格をベースに評価(例:類似会社比較法)
マーケットアプローチは、市場の実勢を反映できる点で客観性が高い一方、「類似企業が少ない」「市況に左右される」というデメリットも持ちます。これが基本です。
類似会社比較法の根底にある考え方は「同じ業種の企業は、同じ倍率になるはずだ」という仮定です。たとえばトヨタとホンダと日産は、ビジネスモデルが似ているため、EV/EBITDA倍率もおおむね同水準になると考えます。この仮定を前提にして、上場企業の倍率を非上場企業に当てはめることで、評価額を算出するわけです。
計算は比例計算が中心で、専門家でなくても理解できます。ただし「どの倍率を使うか」「どの企業を類似企業とするか」の判断には専門的な目が必要で、そこが評価額の精度を大きく左右します。
三菱UFJリサーチ&コンサルティング:類似会社比較(マルチプル)法の解説ページ。評価倍率の算出ロジックが簡潔にまとめられています。
類似会社比較法は、次の4ステップで進みます。手順は明確です。
① 類似会社を選定する
② 比較指標(マルチプル)を選ぶ
③ 類似会社の倍率を算定する
④ 評価対象会社の企業価値・株式価値を算出する
以下では、主要な指標ごとに計算式と具体例を解説します。
🔢 EV/EBITDA倍率(M&Aで最もよく使われる指標)
EBITDAは「営業利益+減価償却費等」で簡易計算できます。税率・金利・償却ルールの違いを除いた"純粋な稼ぐ力"を示すため、業種をまたいだ比較に強みがあります。
$$\text{EBITDA} = \text{営業利益} + \text{減価償却費等}$$
$$\text{EV(事業価値)} = \text{株式価値} + \text{有利子負債} - \text{非事業用資産}$$
$$\text{EV/EBITDA倍率} = \text{EV} \div \text{EBITDA}$$
この倍率を使った企業価値の算出は次のとおりです。
$$\text{評価対象会社のEV} = \text{評価対象のEBITDA} \times \text{類似会社のEV/EBITDA倍率(中央値)}$$
【計算例】類似会社3社のEV/EBITDA倍率がそれぞれ4.62、4.53、3.24だった場合、中央値は4.53です。評価対象のEBITDAが100であれば、EVは453と算出されます。そこから有利子負債を差し引き、非事業用資産を加算すると株式価値が得られます。
EV/EBITDA倍率の一般的な水準は、全業種の中央値でおよそ6〜8倍程度です。情報通信業・サービス業では中央値が8〜9倍台と高め、輸送機器・鉄鋼などの重厚長大産業では4〜5倍台と低くなる傾向があります(みつきコンサルティング調べ・2024年平均データ)。
🔢 PER倍率(株式投資でもおなじみの指標)
PER(Price Earnings Ratio)は「株価が1株当たり利益の何倍か」を示します。
$$\text{PER} = \text{株価} \div \text{1株当たり当期純利益(EPS)}$$
類似会社比較法では、類似会社のPER中央値を評価対象の当期純利益に乗じて株主価値を求めます。
$$\text{株主価値} = \text{当期純利益} \times \text{類似会社のPER(中央値)}$$
【計算例】類似会社A社・B社・C社のPERがそれぞれ10.0倍・10.0倍・12.5倍であれば、中央値は10.0倍です。評価対象会社の当期純利益が2億円なら、株主価値は20億円と算出されます。PERの一般的な平均は15倍前後とされています。
🔢 PBR倍率(純資産ベースの指標)
PBR(Price Book-value Ratio)は「株価が1株当たり純資産の何倍か」を示します。
$$\text{PBR} = \text{株価} \div \text{1株当たり純資産(BPS)}$$
PBR倍率を類似会社比較法に用いる場合、評価対象の純資産に中央値を乗じます。
$$\text{株主価値} = \text{純資産} \times \text{類似会社のPBR(中央値)}$$
一般的にPBRが1倍を下回れば割安、1倍を超えれば割高とされています。ただし、この判断は単独では不十分で、必ず他の指標とあわせて使うことが原則です。
🔢 売上高倍率(PSR)・EBIT倍率
売上高倍率は赤字企業にも適用できる点が特徴で、ベンチャー企業の初期評価によく使われます。一般的に0.5倍以下が割安、20倍以上が割高とされていますが、業種によって大きく異なります。EBIT倍率は減価償却を含む点でEBITDAと異なり、設備投資の多い企業を評価する際に注意が必要です。
上原FAS合同会社(公認会計士・日本証券アナリスト協会認定アナリスト執筆):類似企業比較法の種類・計算例・上級論点がまとめられた実務寄りの解説ページ。
計算式を覚えたら、次は「類似会社をどう選ぶか」です。ここが精度を決める核心部分と言えます。
選定の出発点は「事業内容の類似性」です。同じ業種分類でも、対象顧客・取り扱い商品・ビジネスモデル・収益構造が異なれば、倍率は大きく変わります。最初に会社四季報・アナリストレポート・業種別の上場銘柄リストを使って候補を幅広く集め、その後、財務的な類似性(売上規模・利益率・成長率など)で絞り込むのが一般的な手順です。
最終的に選ぶ類似会社は3〜5社が目安です。少なすぎると1社の外れ値の影響を受けやすく、多すぎると類似性が薄れます。倍率の算出には「中央値」を使うことが実務の主流で、単純平均は外れ値の影響を受けやすいため避けるべきとされています。
倍率がバラついている場合は、それぞれの原因を調べることが必要です。
- ある類似会社が多額の負債を抱えて経営再建中 → EV/EBITDA倍率が異常値になりやすい
- 上場直後の企業が含まれている → PERが実態よりも大きく膨らみやすい
- IFRS(国際財務報告基準)とJGAAP(日本基準)が混在している → EBITDAの計算方法が異なる場合がある
このような異常値を持つ企業は、類似会社から除外するか、影響の程度を説明できるようにしておくことが重要です。また、指標の選定では「価値と財務指標の対応関係」を守ることが大前提です。株主に帰属する指標(当期純利益・純資産)は株式価値と比較し、事業に帰属する指標(EBITDA・EBIT・売上高)は事業価値(EV)と比較します。この対応を間違えると、計算結果が根本的にズレます。
Value Advisory合同会社:類似会社比較法における倍率の選択についての実務的解説。どの場面でどの指標を使うべきかが整理されています。
ここでは、実際の計算の流れを数字で追ってみましょう。これは使えそうです。
【前提】非上場企業S社を評価する。S社のEBITDAは100(百万円)。類似上場企業としてX社・Y社・Z社を選定。
| | X社 | Y社 | Z社 |
|---|---|---|---|
| 株式価値 | 6,000 | 3,000 | 19,000 |
| 有利子負債 | 5,000 | 7,500 | 11,000 |
| 非事業用資産(現預金) | 2,000 | 800 | 6,000 |
| EV(事業価値) | 9,000 | 9,700 | 24,000 |
| EBITDA | 650 | 1,390 | 4,320 |
| EV/EBITDA倍率 | 13.8 | 6.98 | 5.56 |
中央値は 6.98倍 です。
$$\text{S社のEV} = 100 \times 6.98 = 698(百万円)$$
続いてS社の株式価値は次のとおりです。
$$\text{S社株式価値} = \text{EV} + \text{非事業用資産} - \text{有利子負債}$$
S社の非事業用資産(現預金)を50、有利子負債を300と仮定すると、
$$\text{S社株式価値} = 698 + 50 - 300 = 448(百万円)$$
約4億4,800万円が類似会社比較法による株式価値の目安となります。
ここでさらに重要な調整があります。S社が非上場企業であるため「非流動性ディスカウント」を考慮するケースがあります。これは「上場企業の株式は市場でいつでも売れるが、非上場企業の株式はすぐに売れない」という流動性の差を反映するものです。実務では10〜30%程度の割引を行うことがあり、仮に20%割り引くと、評価額は約3億5,800万円になります。割引率は一概に決まらないため、専門家と相談しながら決めるのが得策です。
M&A総合研究所:類似企業比較法の目的・手順・事例を体系的に解説。EBITDAを使った計算例と実際のM&Aへの適用が参考になります。
多くの人が「類似会社比較法で出た数字がそのまま企業の評価額だ」と思いがちです。しかし実務では、計算後に重要な調整が2つ発生することがあります。知らないと損する論点です。
① コントロールプレミアム(支配権プレミアム)
類似会社比較法は、上場企業の「少数株主の視点での株価」を基に倍率を算出します。つまり、市場での1株の売買を前提とした価値です。これに対して、M&Aで企業を100%買収する場合は「会社を支配できる価値」が上乗せされます。これをコントロールプレミアム(支配権プレミアム)と言います。
実務では、TOB(株式公開買付け)での買付価格が、公表前の市場株価に対しておよそ20〜50%上乗せされるケースが多く、コントロールプレミアムはその実例を参照しておおよそ30%程度とするケースが多いとされています(ただし明確な規定はなく、評価者の判断が入ります)。
$$\text{コントロールプレミアム考慮後の価値} = \text{類似会社比較法での価値} \times (1 + 0.3)$$
つまり、売り手側から見れば「類似会社比較法の計算結果に30%程度を加算した水準が適正価値の可能性がある」ということです。逆に言えば、類似会社比較法の数字だけを見せられて交渉に応じてしまうと、本来の価値よりも低い価格で売ってしまうリスクがあります。
② 非流動性ディスカウント(DLOM)
先ほどの計算例でも触れましたが、非上場会社の株式は「売りたいときにすぐ売れない」という特性があります。上場株式であれば市場でいつでも売買できますが、非上場株式の譲渡には買い手探しの期間・契約交渉・デューデリジェンスなどが必要です。この流動性の差を反映した割引がDLOM(Discount for Lack of Marketability)と呼ばれる非流動性ディスカウントです。
公認会計士が会員向けに発行する「企業価値評価ガイドライン(日本公認会計士協会)」でも、非上場会社の評価に際して非流動性ディスカウントを考慮することが明記されています。
この2つの調整は「コントロールプレミアムが加算側、非流動性ディスカウントが減算側」と方向が逆です。どちらをどの程度考慮するかは評価目的(買い手視点か売り手視点か)や案件の性質によって異なります。これが条件です。
日本公認会計士協会「企業価値評価ガイドライン」(PDF):非上場会社の株式評価における非流動性ディスカウントの扱いについて、権威ある指針が記載されています。