フィジカルリスク(気候変動)と金融への影響と投資家の対応

フィジカルリスク(気候変動)と金融への影響と投資家の対応

フィジカルリスク(気候変動)が金融・投資に与える影響と対策

IMFの調査で、2019年時点の株価にフィジカルリスクはほぼ反映されていなかった事実が明らかになっています。


この記事の3つのポイント
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フィジカルリスクとは何か

気候変動による物理的な損害(洪水・台風・熱波など)が企業・投資家の資産に直撃するリスク。急性と慢性の2種類に分類される。

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株価・資産価値への影響

IMF調査では、フィジカルリスクは株価に適切に織り込まれておらず、将来的に大きな市場リスクになりうると指摘されている。

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投資家に求められる行動

TCFDやISSB基準に基づく開示の確認、シナリオ分析の理解など、投資判断にフィジカルリスクを組み込む動きが加速している。


フィジカルリスク(気候変動)の定義と移行リスクとの違い

気候変動に関するリスクを語るとき、日本ではどうしても「脱炭素」「CO2削減」「カーボンプライシング」といった文脈が先行しがちです。これらはすべて「移行リスク」と呼ばれる領域で、低炭素社会へ移行する過程で企業が受ける規制・技術・市場変化のリスクを指します。一方、もうひとつの大きなリスクが「フィジカルリスク(物理的リスク)」です。


フィジカルリスクとは、気候変動が引き起こす物理的な現象そのものから発生するリスクのことです。具体的には、洪水・台風・干ばつ・熱波・海面上昇などが事業拠点や生産設備に与える直接被害、またはサプライチェーン寸断による間接被害を含みます。


フィジカルリスクはさらに2種類に分けられます。


- 急性リスク(Acute Risk):台風・洪水・大規模降雨など、突発的な自然災害が引き起こすリスク。発生頻度と深刻度が気候変動によって増している点が問題です。


- 慢性リスク(Chronic Risk):海面上昇・平均気温の上昇・降水パターンの長期変化など、じわじわと進行するリスク。ある日突然「損失が出た」とならないため見落とされやすく、むしろ危険です。


日本企業の現状を見ると、移行リスクへの対応は2050年カーボンニュートラル宣言以降に急速に進んでいますが、フィジカルリスクへの対応は明らかに遅れています。これが原則です。理由のひとつは、フィジカルリスクの財務影響を定量化することが技術的に難しいこと。しかしその難しさが、将来の「想定外の損失」につながる構造的なリスクを生み出しています。


2019年の水害による日本の物的被害額は約2兆1,500億円で、これは統計開始以来の最大値でした。東京ドームの建設費約540億円と比較すると、その約40棟分が吹き飛ぶ規模の話です。フィジカルリスクは決して遠い未来の話ではありません。


参考:物理的リスクの詳細な分類と財務影響の評価手法についての解説
気候物理リスクとは?分析の概要とポイントをご紹介 - Climate Vision(Gaia Vision)


フィジカルリスク(気候変動)が投資家の株価判断に与えるインパクト

金融に興味を持つ人の多くは、株式投資や資産運用を行うとき、企業の財務諸表や業績見通しを重視します。しかし、フィジカルリスクはそのどちらにも今のところ適切に反映されていないケースが多い。つまり重要です。


IMFは2020年に公表した研究レポートの中で、2019年時点の世界各国の株価評価を調査した結果、「地球温暖化シナリオとそれに関連する災害の発生確率の変化が、株価にほとんど反映されていなかった」という衝撃的な事実を明らかにしました。この「価格付けの欠如」は将来の市場リスクの源泉になりうると、IMFは強く警告しています。


過去50年間(1970〜2019年)に世界で発生した気象災害の経済損失は、約3兆6,400億ドル(約400兆円)にのぼります。それほどの損失が蓄積されているにもかかわらず、株価にはほぼ影響が出ていないとするIMFの分析は、金融市場がフィジカルリスクを組み込めていないという現実を示しています。


同調査では、68の国・地域を対象に約350件の大規模気候災害を分析した結果、「平均的なケースでは株価への影響は銀行株で2%、全体市場で1%程度と小さかったが、最も深刻な上位10%のケースでは株式市場全体に14%超の影響が出た」と報告されています。注目すべきなのはタイの事例です。2011年の洪水でタイのGDPの約10%に相当する損害が発生し、同国の株価は40日間で30%下落しました。これは東京証券取引所が1日で4%前後下げる大暴落の、約7.5倍に相当する累積下落幅です。


一方でブルームバーグの2025年10月の調査では、「気候リスク指標が10ポイント上昇するごとに、企業のWACC(加重平均資本コスト)が2.2%上昇する傾向がある」という分析が出ています。これは資本コストの上昇を意味します。つまり、フィジカルリスクの高い企業は資金調達コストが上がるということです。


参考:IMFが示す「フィジカルリスクが株価に反映されていない」問題の詳細


フィジカルリスク(気候変動)の急性・慢性リスクと企業財務への波及経路

フィジカルリスクが企業財務に影響を与える経路は、大きく「直接リスク」と「間接リスク」に分類できます。直接リスクとは、企業が保有する工場・倉庫・拠点など物理的な資産が、洪水や台風などによって損害を受けることです。間接リスクとはサプライチェーン上のパートナーが被災し、自社の操業が停止するなど、二次・三次的な影響を指します。


急性リスクについては、日本でも直近の実例が豊富にあります。2019年の台風19号による水害の物的被害額は約2兆1,500億円で統計史上最大でした。2018年の台風21号では保険損害だけで1兆円にのぼっています。また、同年の西日本豪雨では電機・自動車メーカーのサプライヤーが被災し、部品調達の混乱が複数の大手企業の生産に影響を与えました。意外ですね。


慢性リスクは、数字として見えづらいため軽視されがちですが、財務影響は大きい。平均気温が上昇すると、農業や漁業分野では収穫量や漁獲量が低下し、食品メーカーや飲料メーカーの原材料調達コストが恒常的に上昇します。キリンホールディングスは、主力製品であるビールの原材料(大麦・ホップ)への気候変動の影響を定量的に分析し、TCFDレポートで開示するとともに、新たな醸造技術の開発を進めています。こうしたリスクを事業戦略に落とし込んでいる企業と、そうでない企業の間には、中長期の投資リターンに大きな差が生まれる可能性があります。


また、不動産分野では慢性リスクとして「海面上昇による浸水リスク」が問題になっています。日本銀行の調査によると、水害リスクが地価に影響を与えることが確認されており、将来的な洪水リスクが高い地域の不動産は資産価値の低減リスクを抱えています。これは不動産担保融資を行う銀行にとっても、担保価値の棄損という形でフィジカルリスクが波及してくることを意味します。


フィジカルリスクの大きさは、「ハザード(災害の強さ)× エクスポージャー(対象資産の価値)× 脆弱性(ダメージを受けやすさ)」の3要素で決まります。この構造を理解していると、企業ごとのリスク評価が格段にしやすくなります。


参考:水害リスクが地価・金融機関財務に及ぼす影響について


フィジカルリスク(気候変動)の開示要求:TCFDからISSBへの流れ

フィジカルリスクをめぐる情報開示の制度的な枠組みは、この数年で大きく変わっています。長年、気候変動リスクの開示フレームワークとして機能してきたTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)は、2023年10月に解散しました。その機能はISSB(国際サステナビリティ基準審議会)が策定した「IFRS S2」基準に引き継がれ、日本では日本版の基準策定機関SSBJが対応を進めています。


TCFDが推奨していた開示項目は「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」の4つで、そのうち「戦略」と「リスク管理」の中にフィジカルリスクの評価と対応策の開示が含まれています。具体的には、1.5℃シナリオや4℃シナリオといった複数の気候シナリオを用いて、どのシナリオでどれだけの財務影響が出るかを試算し、開示することが求められています。


重要な点として、移行リスクと物理的リスクでは「優位なシナリオ」が逆転することが挙げられます。移行リスクが大きくなるのは「1.5℃シナリオ(積極的な脱炭素化が進む世界)」であり、フィジカルリスクが大きくなるのは「4℃シナリオ(現状政策が継続して温暖化が大幅に進む世界)」です。つまり、2種類のシナリオを同時に考慮する必要があります。これは投資家として、どちらのリスクも無視できないということです。


日本の上場企業によるTCFD賛同件数は世界最多水準ですが、EYが2025年1月に発表した調査では、気候変動対策の移行計画を策定している企業は全体の41%にとどまり、物理的リスクへの定量的な対応に至っている企業はさらに少ないとされています。


投資家として具体的な活用方法は、投資先企業のTCFD開示資料(統合報告書やサステナビリティレポートに収録)を確認することです。特に「シナリオ分析の結果」「物理的リスクの重要性評価」「適応対策の内容」の3点を確認する習慣を持つと、投資先の気候変動耐性が見えてきます。企業のTCFDレポートはほとんどの場合、各社のIRページから無料で入手可能です。


参考:TCFDの開示内容と4つの柱の詳細解説
気候関連財務情報開示に関するガイダンス3.0 - TCFDコンソーシアム(日本語)


フィジカルリスク(気候変動)を踏まえた金融機関・投資家の独自対応戦略

フィジカルリスクはこれまで「企業が受けるリスク」として語られることが多かったですが、視点を変えると「金融機関や個人投資家が直面するリスク」でもあります。これが独自視点です。


銀行は融資先企業の担保となる不動産や設備が気候災害で棄損されると、貸倒リスクが跳ね上がります。保険会社は大規模気候災害が多発すると保険金支払いが急増し、収益構造が根底から揺らぐ。証券会社や資産運用会社は、フィジカルリスクの高い銘柄を多く抱えたポートフォリオが気候ショックで急落するリスクに直面します。


2024年の世界の気候災害による経済的損失は3,680億ドル(約55兆円)とされており(日本政策投資銀行調査)、そのうち約6割は保険でカバーされていない無保険損失でした。保険でカバーされていない分は、企業の自己資本が直撃を受けるということです。痛いですね。


こうした背景を踏まえ、金融機関は以下のような独自の対応を進めています。


- 📌 物理的リスクのシナリオ分析の義務化:金融庁の指針を受けたメガバンクは、融資先の洪水リスク・担保棄損額のシミュレーションを実施しています。環境省の「銀行セクター向けTCFDシナリオ分析ガイド」でも手法が詳述されています。


- 📌 グリーンボンド・サステナブルファイナンス:物理的リスクへの適応対策(防災インフラ、洪水対策など)を目的としたグリーンボンドへの投資は、フィジカルリスク対応を促進する金融手段として広がっています。


- 📌 気候リスク分析ツールの活用:Climate Visionなどのウェブサービスを活用することで、企業のTCFD分析における洪水リスク評価の手間を大幅に削減することが可能になってきています。


個人投資家レベルでは、気候変動に強い企業(適応計画が明確で開示水準が高い企業)を選別するスクリーニング基準として、以下の2点を確認するのが現実的な一歩です。


- ✅ 統合報告書に「物理的リスクの重要性評価」が記載されているか
- ✅ 「適応策(Adaptation)」の具体的な取り組みが記載されているか


この確認を行うだけで、フィジカルリスクに対して無防備な企業を見分けることができます。これは使えそうです。


参考:気候変動による経済的損失と保険損失の最新データ
気候変動と水害リスク情報 - 日本政策投資銀行(DBJ)コラム


フィジカルリスク(気候変動)への実践的な理解を深めるために

フィジカルリスクは、その言葉のとおり「物理的な現象」から生まれるリスクです。しかし金融市場でそのリスクが正しく価格付けされていない現状を踏まえると、これを正確に理解している投資家は、将来の市場変動に対してより早く、より的確に動ける立場に立てます。


ここまでの内容を整理します。


| 項目 | フィジカルリスク | 移行リスク |
|---|---|---|
| 起因 | 洪水・台風・熱波などの物理現象 | 脱炭素社会への規制・技術変化 |
| 種類 | 急性(突発)/慢性(長期) | 政策リスク・評判リスクなど |
| 深刻化シナリオ | 4℃(温暖化進行) | 1.5℃(積極的な気候変動対策) |
| 財務影響の例 | 担保棄損・工場被害・操業停止 | 炭素税・製品規制・需要変化 |
| 日本企業の対応状況 | 遅れ気味 | 比較的進んでいる |


日本は世界の自然災害損失の約3割を占める国であり(朝日グローブ)、フィジカルリスクは他の国と比べて特に身近な問題です。これが原則です。


投資家として最初に取れる行動は1つで十分です。今後、投資先企業の統合報告書を読む際に、「物理的リスク」「フィジカルリスク」「適応策」という単語を検索してみてください。記載があるかどうかだけで、その企業のリスク管理の成熟度がある程度わかります。


気候変動は遠い未来の環境問題ではなく、「いま、あなたのポートフォリオに潜んでいるリスク」です。フィジカルリスクを正確に理解し、投資判断の中に組み込む習慣を持つことが、中長期的な資産保全の鍵になっていきます。


参考:気候変動の物理的リスクと適応対策を整理した企業の開示事例