

計算式を正しく使っても、事例の選び方が悪いだけで査定額が数百万円ズレます。
取引事例比較法は、不動産鑑定評価における三大手法のひとつです。残り二つは「原価法」と「収益還元法」ですが、取引事例比較法は実際に市場で成立した売買価格を根拠にする点が最大の特徴になります。
基本の計算式は以下の通りです。
| 計算式 |
|---|
| 比準価格 = 取引事例の価格 × 事情補正 × 時点修正 × 標準化補正 × 地域要因比較 × 個別要因比較 |
この式で求められる価格を「比準価格(ひじゅんかかく)」と呼びます。つまり比準価格が基本です。各補正は「足し合わせる」のではなく、すべて「掛け合わせる」という点が重要で、一つの補正ミスが連鎖的に価格全体を狂わせる構造になっています。
たとえば、事例価格が5,000万円のケースで時点修正を105%(+5%上昇)、個別要因を95%(△5%劣っている)とした場合、単純に「5,000万円 × 1.05 × 0.95 ≈ 4,987.5万円」となります。もし誤って足し算で「5,000万円 × 1.00(相殺)」と計算すると、約12.5万円の誤差が生じます。小さく見えますが、補正が5つ重なれば誤差はさらに広がります。
意外なのは、金融や不動産に詳しい方でも、補正を「プラスマイナスで相殺できる」と誤解しているケースが少なくない点です。各補正は独立して価格に影響するため、正しくは掛け算で積み重ねていく必要があります。
取引事例比較法は、国土交通省が定める「不動産鑑定評価基準」に根拠をもつ正式な手法です。不動産鑑定士が作成する鑑定評価書にも使用されており、裁判所や税務署など公的な場でも認められています。
三井不動産のコラムでも計算方法の基本フローが解説されています。
計算の流れを実際の数字で追ってみましょう。ここでは120㎡の土地を査定する場面を想定します。まず近隣で100㎡の土地が4,000万円で成約した事例を収集したとします。このとき、㎡単価は「4,000万円 ÷ 100㎡ = 40万円」です。
120㎡の土地に当てはめると、事例ベースの価格は「40万円 × 120㎡ = 4,800万円」になります。これが補正前のスタート地点です。次に、各補正を順番に乗せていきます。
| 補正の種類 | 補正内容 | 補正率 | 計算後の価格 |
|---|---|---|---|
| 事情補正 | 売主が借金返済のため2割安く売却した事例のため修正 | 100÷80 = 1.25 | 6,000万円 |
| 時点修正 | 取引時点から価格が10%下落している | × 0.90 | 5,400万円 |
| 標準化補正 | 対象地が変形地のため10%価値が低い | × 0.90 | 4,860万円 |
| 地域要因 | 閑静な住宅街で事例地より10%価値が高い | × 1.10 | 5,346万円 |
| 個別要因 | 日当たりが悪いため5%価値が低い | × 0.95 | 5,079万円 |
最終的な比準価格は約5,079万円となります。スタートが4,800万円だったことを考えると、補正によって価格が大きく変動しているのがわかります。これが基本です。
注目すべきは事情補正の扱いです。実務の現場では、事情のある取引事例は原則として最初から除外するのが鑑定の基本ルールとされています。借金返済のための急売りや、投機目的での高値買いなどのケースは、そもそも取引事例に採用しないのが原則です。
つまり事情補正が登場する場面は、実務では非常に限られます。この点を知らずに「事情補正で修正すればいい」と考えると、信頼性の低い価格を算出するリスクがあります。
取引事例の収集には、不動産業者だけが使える「レインズ(REINS)」が主に使われています。個人がレインズに直接アクセスすることはできませんが、国土交通省が一般公開している「不動産情報ライブラリ」や「レインズ・マーケット・インフォメーション」で、成約価格の傾向を調べることは可能です。
時点修正は、過去の取引価格を現在の市場水準に引き上げる(または引き下げる)ための調整です。不動産価格は景気・金利・需要と供給のバランスによって常に変動しており、2020年から2024年にかけては都市部のマンションが平均で20〜30%以上値上がりしたエリアも存在します。
時点修正の計算式は次の通りです。
| 計算式 |
|---|
| 修正率(%)=(評価時点の指数 ÷ 取引時点の指数)− 1 |
| 修正後価格 = 取引価格 ×(1 + 修正率) |
たとえば、取引時点の地価指数が120で、現在の指数が132だとします。修正率は「(132 ÷ 120)− 1 = 0.10」つまり10%になります。3,000万円の事例なら「3,000万円 × 1.10 = 3,300万円」が修正後の価格です。
ここで注意が必要なのは、使用する指数の選び方です。全国平均の地価指数を一律に使うのはNGです。東京都心と地方都市では価格変動の幅が大きく異なり、同じ年でも地域によって指数の推移はまったく違います。
参考になる公的指数としては、国土交通省の「不動産価格指数」や「地価公示(公示地価)」が挙げられます。特に「不動産価格指数」は住宅・商業用地に分類されており、四半期ごとに更新されるため、より精度の高い時点修正が可能です。
また、取引事例が古すぎる場合は時点修正の信頼性が著しく低下します。一般的に5年以上前の事例は、市場構造そのものが変化している可能性があり、採用する際は慎重な判断が必要です。時点修正が命綱と言えます。
国土交通省が公表する不動産価格指数の最新データはこちらで確認できます。
取引事例比較法は万能ではありません。実は「使いにくい」「精度が落ちやすい」場面が複数あります。これを知らずに計算式だけを信じて判断すると、大きな金額のズレを生む可能性があります。
まず、一戸建てへの適用には注意が必要です。一戸建ては間取り・デザイン・建物仕様・敷地の形状・向きなど個別性が非常に高く、条件が一致する近隣事例を複数確保することが難しいという構造的な問題があります。地域によっては類似事例が1件も見つからないケースも珍しくありません。
次に、事例数が少ない地域の問題です。都市部のマンションであれば同一建物内に複数の成約事例があり、比較精度は高くなります。一方、地方の郊外エリアや特殊な用途の土地では、そもそも事例が存在しないことがあります。事例が1件しかなければ、比準価格の信頼性は大幅に低下します。
さらに盲点になりやすいのが、不動産会社の力量への依存です。同じ物件でも、どの事例を選ぶか・各補正率をどう設定するかによって、算出される価格は大きく変わります。
こうした限界を補うために、実務では原価法や収益還元法と組み合わせた評価が行われます。複数手法を併用して価格の妥当性を相互に確認するのが原則です。
不動産査定を依頼する際は、会社がどの補正率をどのような根拠で設定したかを説明してもらうことも重要です。「データが少なかった」「感覚的に判断した」という回答であれば、別の不動産会社にも並行して査定を依頼することを検討する価値があります。
取引事例比較法を正しく使いこなすには、他の手法との違いを理解することが不可欠です。不動産鑑定評価の三手法それぞれに得意な場面があり、目的に合った選択が求められます。
| 手法名 | 評価の基準 | 主な対象 | 適した場面 |
|---|---|---|---|
| 取引事例比較法 | 実際の取引価格(市場性) | 土地・マンションなど | 実需物件・相続・裁判・税務 |
| 原価法 | 再調達原価 − 減価修正額(費用性) | 主に建物 | 新築・特殊構造の建物 |
| 収益還元法 | 将来の収益(収益性) | 投資用不動産 | 賃貸物件・商業ビルの投資判断 |
原価法の計算式は「評価額 = 再調達原価 − 減価修正額」です。再調達原価とは、同等の建物を現在建て直した場合にかかる費用のことです。そこから築年数に応じた劣化分(減価修正額)を差し引いて評価額を求めます。
収益還元法の代表的な計算式は「価格 = 年間収益 ÷ 還元利回り」です。たとえば年間家賃収入が300万円で還元利回りを5%に設定した場合、「300万円 ÷ 0.05 = 6,000万円」が評価額になります。これは使えそうです。
投資目的で不動産を購入する場合は収益還元法、自宅として購入する場合は取引事例比較法が主に使われます。相続や税務申告では、路線価方式による評価と合わせて取引事例比較法による実勢価格の裏付けが求められるケースもあります。
重要なのは、どの手法にも主観的な要因(デザイン・希少性・買い手の競合状況など)が反映されにくい点です。市場で実際に購入希望者が殺到しているような物件では、取引事例比較法で算出された価格を大きく上回る成約事例が生まれることもあります。これは知っておくべき限界です。
収益還元法(直接還元法・DCF法)については、国土交通省の不動産鑑定評価基準に詳細な解説があります。