
「債務者の帰責事由の不存在」とは、債務不履行が生じた場合に、その不履行について債務者に責任がないことを意味します。民法では、債務不履行による損害賠償責任が発生する要件として、債務者に「責めに帰すべき事由」があることが前提とされています。逆に言えば、債務者に責めに帰すべき事由がない場合、つまり「帰責事由の不存在」が認められる場合には、債務不履行による損害賠償責任を負わないことになります。
帰責事由とは具体的には、債務者の「故意」や「過失」、あるいは「信義則上これらと同視すべき事由」を指します。債務者が意図的に債務を履行しなかった場合や、注意義務を怠ったために履行できなかった場合には、帰責事由があると判断されます。
民法改正後の415条では、「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。」と規定されています。
債務不履行による損害賠償請求において、帰責事由の立証責任は債務者側にあります。つまり、債権者が債務不履行の事実を主張・立証すれば、債務者に帰責事由があることが推定され、債務者が責任を免れるためには、自らに帰責事由がないこと(帰責事由の不存在)を主張・立証する必要があります。
この点について、判例・学説上も一致した見解となっており、債務不履行の類型(履行不能、履行遅滞、不完全履行)を問わず、帰責事由の不存在は抗弁事由として扱われます。債権者が帰責事由を主張立証すべきという見解は存在しません。
帰責事由の不存在が認められると、債務者は損害賠償責任を負わないことになります。ただし、債務そのものが消滅するわけではなく、履行可能であれば履行義務は残ります。履行不能の場合には、危険負担の問題として処理されることになります。
債務の性質によって、帰責事由の不存在の判断基準は異なります。この点で重要なのが「結果債務」と「手段債務」の区別です。
結果債務とは、特定の結果の実現を約束する債務です。例えば、物の引渡債務や特定の仕事の完成を約束する請負契約などが該当します。結果債務の場合、約束した結果が実現されなければ、原則として債務不履行となります。
一方、手段債務とは、結果の実現を直接約束するのではなく、結果実現のために一定の注意をもって行動することを約束する債務です。医師の診療債務や弁護士の訴訟追行債務などが典型例です。手段債務の場合、結果が実現されなくても、債務者が適切な注意義務を尽くしていれば債務不履行とはなりません。
潮見佳男教授の見解によれば、「債務不履行の帰責事由を考えるにあたっては、過失責任の原則を採用しない。債務内容に照らして保証責任の原理に基礎付けられる場合(結果保証のある場合。結果債務)と、過失責任の原理に基礎付けられる場合(手段債務)とを認め、前者については不可抗力および債権者の圧倒的な帰責性をもって免責事由とし、後者については、債務不履行の事実の確定をもって債務者への帰責性が同時に確定される」とされています。
債務者の帰責事由の不存在、つまり免責事由として認められる典型的な事例には以下のようなものがあります。
中田裕康教授は、免責事由について「①不可抗力、②債権者又は第三者の行為であって債務者に予見可能性及び結果回避可能性のないもの」と整理しています。また、債務の種類によって免責事由の意義が異なるとも指摘しています。
例えば、金銭債務については「債務者は、自己の財産をもって債務を完済すべき義務を負うのであるから、自己の無資力を理由として債務不履行責任を免れることはできない」とされ、不可抗力による免責も認められにくいとされています。
債務整理を検討する際、債務者の帰責事由の不存在という概念は重要な意味を持ちます。債務整理の各手続きにおいて、この概念がどのように影響するかを見てみましょう。
任意整理の場合。
任意整理は債権者との交渉による債務の減額や返済条件の変更を行う手続きです。交渉の過程で、債務不履行に至った経緯として債務者に帰責事由がないことを主張できれば、より有利な条件を引き出せる可能性があります。例えば、病気や事故、災害などの不可抗力によって収入が減少し返済が困難になったケースなどが該当します。
個人再生の場合。
個人再生手続きでは、債務者の支払能力に応じた再生計画を立てます。債務不履行の原因が債務者の帰責事由の不存在によるものであれば、裁判所や債権者の理解を得やすくなる可能性があります。特に、再生計画認可の判断において、債務者の誠実性の評価に影響することがあります。
自己破産の場合。
自己破産においては、免責不許可事由に該当しないことが重要です。債務者に帰責事由がない形で債務不履行に陥った場合は、浪費や賭博などの免責不許可事由に該当する可能性が低くなります。ただし、破産手続きでは債務者の帰責事由の有無よりも、現在の支払不能状態が重視されます。
実務上、債務整理の相談時には、債務不履行に至った経緯を詳細に説明し、債務者に帰責事由がない(または少ない)ことを示す証拠を準備しておくことが有利に働くことがあります。特に、病気や事故の診断書、災害による被害証明書、解雇通知書などの客観的証拠は重要です。
日本弁護士連合会による債務整理の解説資料
債務整理の実務においては、債務者の帰責事由の不存在を主張することで、債権者からの理解を得やすくなり、より有利な条件での和解や再生計画の認可につながる可能性があります。ただし、債務整理は最終的には債務者の現在の返済能力に基づいて判断されるため、過去の帰責事由の有無だけで結論が左右されるわけではありません。
債務整理の専門家(弁護士や司法書士)に相談する際には、債務不履行に至った経緯を正確に伝え、帰責事由の不存在を示す事情があれば、それを具体的に説明することが重要です。専門家はそれらの事情を踏まえて、最適な債務整理の方法を提案してくれるでしょう。
以上のように、債務者の帰責事由の不存在という概念は、債務不履行における損害賠償責任の免除という法律上の効果だけでなく、債務整理の実務においても重要な意味を持ちます。債務問題で悩んでいる方は、この概念を理解した上で、専門家に相談することをお勧めします。
債務者の帰責事由の不存在に関する理解は、時代とともに変化してきました。伝統的な見解と近年の有力説の違いを理解することで、この概念をより深く把握することができます。
伝統的見解(過失責任主義)。
従来の通説では、債務不履行責任は過失責任主義に基づくとされていました。つまり、債務者に故意・過失がある場合にのみ責任を負うという考え方です。この見解によれば、債務不履行の事実によって債務者の過失が推定され、立証責任が転換されると考えられていました。
近年の有力説(契約責任説)。
これに対し、近年の有力説は、債務不履行制度は過失責任主義とは関係がなく、契約によって拘束されている債務者が債務を履行しないこと自体が責任を負うべき根拠になると考えます。この見解では、「責に帰することができない事由」は例外的な「免責事由」として理解されます。
平井宜雄教授は、民法の起草当時、責めに帰することができない事由とは「不可抗力」を意味するものとされていたと指摘し、通説を批判しました。また、判例の実際の姿としては、通説に従っておらず、特定の準則が見出せるとしています。
中田裕康教授は、「帰責事由は、事実としての不履行がある場合に、それによる損害を賠償する責任を債務者に帰せしめる要素であるが、債務者が債務を負う以上、それは原則として存在する。例外的に、免責事由・正当化事由がある場合にのみ、帰責事由がないことになる」と述べています。
森田宏樹教授は、結果債務・手段債務の区別の意義について研究を行い、債務の性質によって帰責事由の判断基準が異なることを指摘しています。
2020年4月の民法改正では、債務不履行による損害賠償の規定が見直され、「契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由」という表現が採用されました。これは、従来の「債務者の責めに帰すべき事由」よりも客観的な基準を示すものとされています。
法務省による民法改正の解説資料
学説の変遷を理解することは、債務整理の実務においても重要です。近年の契約責任説の台頭により、債務者の主観的な過失よりも、契約内容や取引上の社会通念に照らした客観的な評価が重視される傾向にあります。このため、債務整理の相談時には、単に「故意・過失がなかった」と主張するだけでなく、契約内容や社会通念に照らして債務不履行が免責されるべき事情を具体的に説明することが効果的です。
債務者の帰責事由の不存在に関する理解は、法律実務家の間でも変化しつつあり、今後も判例や学説の発展によって変化する可能性があります。債務整理を検討する際には、最新の法的動向を踏まえた専門家のアドバイスを受けることが重要です。