
履行不能とは、債務の履行が物理的または法律的に不可能な状態になることを指します。例えば、建物の売買契約において、売主の不注意により目的物である建物が火災で焼失してしまった場合、その建物はもはや存在しないため、履行不能となります。
債務不履行には主に以下の3つの類型があります。
履行不能の場合、債権者は債務者に対して履行請求をすることができません。なぜなら、そもそも履行することが不可能だからです。そのため、債権者が取りうる法的手段は、損害賠償請求と契約解除に限られます。
履行不能による損害賠償請求の法的根拠は、民法第415条に規定されています。同条は以下のように定めています。
「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。」
この規定により、債務の履行が不能となった場合、債権者は債務者に対して損害賠償を請求することができます。ただし、債務者に責任がない場合(不可抗力など)は、損害賠償請求はできません。
また、民法第415条第2項では、債権者が「債務の履行に代わる損害賠償」(填補賠償)を請求できる場合として、「債務の履行が不能であるとき」が明記されています。
履行不能を理由に損害賠償を請求するためには、以下の要件を満たす必要があります。
特に重要なのは、「損害が発生していること」と「債務者に不履行の責任があること」という2点です。損害が発生していなければ、損害賠償を請求する根拠がありません。
例えば、ボールペンの納品が遅れたとしても、在庫が十分にあり業務に支障がなかった場合、実質的な損害は発生していないため、損害賠償請求は難しくなります。
立証責任については、債権者が履行不能の事実と損害の発生を立証する必要があります。一方、債務者は「責めに帰すべき事由がないこと」を立証することで、損害賠償責任を免れることができます。
履行不能の場合、債権者は契約解除をすることができます。民法では、履行不能の場合には催告なしに直ちに契約解除ができると規定されています。
契約解除と損害賠償請求は、選択的ではなく併用することが可能です。つまり、履行不能を理由に契約を解除した上で、それによって生じた損害の賠償を請求することができます。
契約解除の効果として、当事者は原状回復義務を負います。例えば、すでに代金の一部が支払われていた場合、契約解除によりその返還を求めることができます。
ただし、債務者の責任でない原因(不可抗力など)で履行不能となった場合は、「危険負担」のルールで処理されます。改正民法では、原則として債権者主義が採用されており、債権者がリスクを負担することになります。
履行不能が生じた場合に注目すべき制度として「代償請求権」があります。これは、債務者が履行不能と同一の原因により代償的な権利や利益を取得した場合、債権者がその権利の移転や利益の償還を請求できる権利です。
民法第422条の2に規定されており、「債務者が、その債務の履行が不能となったのと同一の原因により債務の目的物の代償である権利又は利益を取得したときは、債権者は、その受けた損害の額の限度において、債務者に対し、その権利の移転又はその利益の償還を請求することができる」とされています。
例えば、建物の売買契約において、引渡し前に建物が火災で焼失し、売主が火災保険金を受け取った場合、買主はその保険金の支払いを請求できる可能性があります。
金融取引においては、この代償請求権が重要な意味を持つことがあります。特に、担保物件が滅失した場合の保険金請求権や、株式の強制的な買取りが行われた場合の対価などが問題となることがあります。
最高裁判所の代償請求権に関する判例(昭和41年12月23日最高裁判所第二小法廷判決)
履行不能は、その発生時期によって「原始的不能」と「後発的不能」に分けられます。
原始的不能とは、契約締結時にすでに履行が不能である場合を指します。例えば、すでに焼失している建物を知らずに売買契約を結んだ場合などです。
後発的不能とは、契約締結時には履行可能であったが、その後に履行が不能となった場合を指します。例えば、契約後に建物が火災で焼失した場合などです。
改正民法では、原始的不能の場合でも損害賠償請求が可能であることが明文化されました。民法第412条の2第2項では、「契約に基づく債務の履行がその契約の成立の時に不能であったことは、第四百十五条の規定によりその履行の不能によって生じた損害の賠償を請求することを妨げない」と規定されています。
これにより、契約締結時にすでに履行不能であった場合でも、債権者は信頼利益(契約が有効であると信じたことによって生じた損害)の賠償を請求することができます。
金融取引においては、原始的不能と後発的不能の区別が重要な意味を持つことがあります。特に、投資対象の価値評価や、契約締結時のデューデリジェンスの重要性が強調されます。
不完全履行とは、債務の履行はされたものの、その内容が契約の本旨に従ったものではない場合を指します。例えば、納品された商品に欠陥がある場合や、作業内容に誤りがある場合などです。
不完全履行の要件は以下の通りです。
不完全履行の場合、債権者は完全な履行を求めるとともに、履行が不完全であったことに起因して生じた損害の賠償を請求することができます。また、もはや完全な履行をすることができない(追完不能の)場合には、填補賠償も求めることができます。
履行不能と不完全履行の大きな違いは、損害賠償の範囲にあります。履行不能の場合、債務の履行自体ができないことによる損害(履行利益)が賠償の対象となります。一方、不完全履行の場合は、不完全な履行によって生じた派生的損害も賠償の対象となることがあります。
例えば、医療機器の納入契約において、機器の欠陥により患者に健康被害が生じた場合、その健康被害に対する賠償も請求できる可能性があります。
金融取引においては、特に投資商品の説明義務違反などが不完全履行として問題となることがあります。適切な説明がなされなかったことにより投資家が損失を被った場合、その損失の賠償が求められることがあります。
国際取引においては、履行不能や損害賠償に関する法的枠組みが国によって異なるため、複雑な問題が生じることがあります。
国際物品売買契約に関する国際連合条約(CISG)では、履行不能に相当する概念として「免責」(Exemption)が規定されています。第79条では、「当事者は、自己の義務の不履行が自己の支配を超える障害によるものであり、かつ、契約の締結時にその障害を考慮することも、その障害又はその結果を回避し、又は克服することも合理的に期待することができなかったことを証明する場合には、その不履行について責任を負わない」と規定されています。
しかし、CISGの適用範囲は物品の売買契約に限られており、サービス契約や金融取引には適用されません。また、すべての国がCISGを批准しているわけではありません。
国際金融取引においては、準拠法や管轄裁判所の選択が重要な意味を持ちます。多くの場合、契約書において準拠法や紛争解決方法(訴訟、仲裁など)が明確に規定されています。
また、国際取引では、不可抗力条項(Force Majeure Clause)が重要な役割を果たします。この条項により、自然災害、戦争、テロ、パンデミックなどの予見不可能かつ回避不可能な事態が発生した場合の当事者の責任が明確化されます。
国際金融取引においては、特に政治リスク(為替規制、収用など)が履行不能の原因となることがあります。そのため、政治リスク保険などのリスクヘッジ手段が重要となります。
金融取引においては、履行不能のリスクを適切に管理することが重要です。以下に、主なリスク管理手法と対策を紹介します。
特に金融機関においては、バーゼル規制に基づくリスク管理フレームワークの中で、履行不能リスク(信用リスク)を適切に評価・管理することが求められています。
また、フィンテックの発展により、ブロックチェーン技術を活用したスマートコントラクトなど、履行不能リスクを低減する新たな手法も登場しています。スマートコントラクトでは、あらかじめプログラムされた条件が満たされると自動的に契約が実行されるため、履行不能のリスクを軽減できる可能性があります。
金融庁のバーゼル規制に関する情報
金融取引においては、履行不能が発生した場合の損害額が非常に大きくなる可能性があるため、事前のリスク管理が特に重要です。適切なリスク評価と対策を講じることで、履行不能による損失を最小限に抑えることができます。