

「人的資本開示」はコンプライアンス担当者だけの話だと思っていたなら、今すぐその認識を見直すと得します。
2023年3月期決算より、日本では「企業内容等の開示に関する内閣府令」の改正により、有価証券報告書を発行する大手企業約4,000社を対象に、人的資本に関する情報開示が義務化されました。
ただし、よく耳にする「7分野19項目」がすべて法律上の義務というわけではありません。これが重要なポイントです。
有価証券報告書に記載が義務付けられているのは、以下の2分野6項目に限られます。
| 分野 | 必須記載項目 |
|---|---|
| サステナビリティ情報(新設) | ①人材育成方針 ②社内環境整備方針 ③指標と目標・進捗 |
| 従業員の状況(既存欄に追加) | ④女性管理職比率 ⑤男性育休取得率 ⑥男女間賃金格差 |
つまり法定義務が条件です。内閣官房の「人的資本可視化指針」が示す7分野19項目はあくまで「推奨」であり、企業が任意で取り組む開示項目として位置づけられています。
しかし、投資家はこの任意項目まで積極的に確認し、評価に反映させます。形式的に法定6項目だけ記載するのでは、実際の企業評価においてはプラスの影響を生みにくいという現実があります。
義務化の対象となるのは「金融商品取引法第24条の有価証券を発行している企業」です。具体的には上場企業全社に加えて、一部の非上場大企業も含まれます。なお、中小企業は現時点では対象外ですが、サプライチェーン全体でのESG要請が強まる中、今後は事実上の対応が求められるケースも増えています。
参考:人的資本開示の義務化から推奨19項目まで詳しく解説されています。
人的資本開示とは?義務化19項目や開示のポイント、開示事例を解説|はたらきがい
なぜ今、人的資本の開示がこれほど重視されるようになったのでしょうか。その根本には、企業価値の構成要素が大きく変化しているという事実があります。
米国のOcean Tomo社の調査によれば、S&P500構成企業の市場価値に占める無形資産の割合は、1985年時点の約30%から2020年には約90%にまで上昇しました。一方、日本の日経平均株価構成銘柄においては、2020年時点でもその割合は約30%程度に留まっています。この約60ポイントもの差は、日本企業が無形資産、特に人的資本への投資で世界に後れを取っている証拠と見なされています。
無形資産の割合が9割という数字がイメージしにくければ、「株価の90円分はモノとして存在しない価値で構成されている」と考えると分かりやすいかもしれません。
もう一つの大きな背景がESG投資の台頭です。2006年に当時の国連事務総長が提唱した「国連責任投資原則(PRI)」は、「環境・社会・ガバナンスの観点で企業を評価して投資する」という宣言で、発足当初は約50機関の署名に過ぎませんでした。それが2023年6月末時点では5,372機関にまで拡大しています。
5,372機関という数字は、日本のプロ野球チームの数に換算すると、セ・リーグ+パ・リーグを合わせた12球団の約447倍に相当するほどの規模感です。これほど多くの機関投資家がESG情報を投資判断に組み込んでいる以上、人的資本の開示は「義務だから行う」ではなく「株主から選ばれるために行う」ものになっています。
欧州ではすでに2014年から非財務情報開示指令(NFRD)が施行され、従業員500人超の上場企業を対象にESG関連の非財務情報開示が義務化されています。米国でも2020年11月より、S-K開示規制の改正により上場企業への人的資本開示義務がスタートしています。日本の2023年の義務化は、こうした欧米の潮流への追随という側面が強いと言えます。
内閣官房「人的資本可視化指針」(2022年8月公表)では、法定義務の6項目を補完する形で、任意開示が望ましい7分野19項目が示されています。投資家や金融機関はこの枠組みを使って各社を横並びで比較するため、任意でも対応することが実質的な競争力に直結します。
| 分野 | 主な開示項目 |
|---|---|
| ① 人材育成 | リーダーシップ、育成、スキル・経験(研修時間・研修費用など) |
| ② エンゲージメント | 従業員エンゲージメントスコア(サーベイ結果など) |
| ③ 流動性 | 採用・離職率、定着率、サクセッションプラン |
| ④ ダイバーシティ | 属性別管理職比率、男女間賃金格差、育児休業復職率 |
| ⑤ 健康・安全 | 労働災害発生率、精神的健康、安全衛生マネジメント |
| ⑥ 労働慣行 | 労働慣行、賃金の公平性、児童労働・強制労働への対応 |
| ⑦ コンプライアンス・倫理 | 差別事例件数、懲戒処分件数、コンプライアンス研修受講率 |
これらは任意ですが、注意が必要です。
投資家が企業を評価する際、法定開示だけでなく任意開示の充実度も点数化するシステムが存在します。例えば、ドイツに本拠を置くESG評価会社「ESG Book」は450以上の指標・110以上のチェック