

電子投票でセキュリティが強化されると安心していたあなた、実は端末のマルウェア感染で一票が別の候補者に変わる可能性があります。
「電子投票はペーパーレスで改ざんしにくい」という印象を持っている人は少なくありません。しかし実態は正反対に近く、セキュリティの専門家たちは長年にわたって強い警告を発し続けています。
2026年1月、プリンストン大学のCITP Blog(コンピュータ技術・プライバシー政策センター)が公開したレポートは、「現時点でインターネット投票を安全に運用できる技術は存在しない」と明言しました。これは研究室レベルの理論ではなく、現実の選挙で使われているシステムへの評価です。
具体的に指摘された弱点は3つあります。第一に、有権者のスマートフォンやPCにマルウェアが潜んでいると、画面上で「○○候補に投票した」と表示されながら、実際に送信されるデータは別の候補者名になっている可能性があります。第二に、集計サーバー自体が世界中から常にサイバー攻撃にさらされており、内部の管理者が不正に投票データを変えることができる構造的なリスクがあります。第三に、選挙事務所のコンピューターにマルウェアが侵入した場合、集計前に票が書き換えられてしまう可能性があります。
つまり、被害が起きやすい構造があるということです。
従来の紙の投票でも不正ゼロとは言えませんが、電子投票との決定的な違いがあります。紙の場合、不正を行うには物理的に多くの人員と時間が必要で、大規模な不正は現実的に困難です。一方で電子投票は、たった一人の攻撃者が一度のサイバー攻撃で数万票から数十万票を丸ごと改ざんできる可能性があります。スケールの違いが、リスクの質を根本的に変えるのです。
実際に2017年のDEF CONというハッカーカンファレンスでは、米国で実際に使用されていた電子投票機器が短時間でハッキングされるデモンストレーションが行われ、大きな衝撃を与えました。セキュリティが高いとされる商用製品でさえ、専門家の目の前で簡単に突破されました。
金融に興味があり、システムリスクを重要視する立場から見ると、「検証可能性」の欠如も看過できません。紙の投票なら再集計で票を直接確認できますが、電子データは一瞬で変えられても痕跡が残らない場合があります。セキュリティリスクが注意事項として存在するということです。
参考:インターネット投票のセキュリティ問題について詳しく解説しているGIGAZINEの記事
インターネット投票は安全ではないため、公の選挙では使用すべきでない(GIGAZINE, 2026年1月)
「電子化すれば開票作業が減ってコスト削減になる」という期待は、現実の数字を見ると崩れてしまいます。これは意外な事実です。
2024年12月、大阪府四條畷市が国内で8年ぶりに電子投票を実施しました。関西テレビの取材によると、機器レンタル代やUSBメモリーの購入費用など、今回の選挙にかかった費用はおよそ4,500万円でした。これは市長選という比較的小規模な選挙での数字です。
一方、電子投票によって削減できた開票コストはどの程度だったのでしょうか。開票所の動員人数は、前回の80人から27人へと約3分の1に減りました。しかし投票所では、端末ロック解除などの対応で逆に前回の80人から117人へと増員が必要でした。初回ということもあり、差し引きで見るとトータルのコスト削減効果は導入費用に全く追いつきません。
単純計算の比較として考えると、従来の紙の選挙で数百万円のコストが電子投票では4,500万円になる、という構図です。日本の一般家庭の年収に例えれば、普段の食費が10倍になったようなイメージでしょうか。
この「コスト回収できない問題」は、四條畷市だけの話ではありません。同志社大学のレポート(2024年3月)によると、日本の電子投票が普及しなかった理由の一つとして「電子投票の実施に伴うコストが、開票作業の短縮などによる節約効果を大幅に上回る」点が明確に指摘されています。
コスト問題が導入の最大の壁です。
では、将来的にコストは下がるのでしょうか。四條畷市の東修平前市長は「色んな自治体に広まることで、費用は抑えられる」と前向きなコメントをしています。確かに、量産効果による機器コストの低下や、ノウハウの共有による運用コストの削減は期待できます。しかし現時点では、自治体の財政負担という問題点は非常に大きいままです。
金融の視点で言えば、投資対効果(ROI)が著しく低い状態です。費用対効果を重視するのであれば、現時点での電子投票の大規模普及には慎重な判断が必要と言えるでしょう。
参考:同志社大学によるレポート。日本の電子投票の歴史と課題について詳しく解説。
政策最新キーワード「電子投票は過去のものか」(同志社大学政策学部, 2024年3月)
電子投票を推進する最大の理由として「投票率の向上」が挙げられます。特に若者の投票離れが深刻な日本では、スマホで手軽に投票できるインターネット投票が解決策として期待されています。しかし研究データを見ると、話はそれほど単純ではありません。
岩崎(2019年)による研究では、日本で実施された電子投票25件の事例を分析した結果、最大で14ポイント投票率が増加したケースがある一方、逆に投票率が低下したケースも半数程度存在することが示されています。これは期待外れの数字と言えるでしょう。
なぜ投票率が上がらないのでしょうか?ここに重要な前提の問題があります。日本で法律上認められている「電子投票」は、「投票所に設置されたタッチパネル機器を操作する方式」に限られており、「自宅のスマホやPCで投票できるネット投票」はまだ公職選挙では認められていません。投票所まで足を運ぶコストは紙でも電子でも変わらないのです。
つまり、「電子投票=スマホで投票できる」という理解は実態とズレています。
投票所の「書き方」がタッチパネルに変わるだけでは、「投票所まで行くのが面倒」「仕事が忙しい」「自分の一票は変わらない」という根本的な投票意欲の問題は解決しません。これが、投票率改善の効果が限定的な理由です。
一方、エストニアのケースは参考になります。エストニアは2005年に世界で初めて国政選挙でのインターネット投票を導入し、2023年の議会選挙では投票者の51.1%(約31万人)がインターネット投票を選択しました。エストニアの成功の要因は、①自宅から投票できること、②全国民が持つIDカードを使った強固な本人確認、③透明性の高いオープンソースシステム、の3点が揃っていたことです。
投票環境そのものの変革が重要ということですね。
日本でも今後、在外邦人向けのネット投票を皮切りに、段階的な導入が検討されています。マイナンバーカードを活用した本人確認の仕組みは、技術的にエストニアのIDカードシステムと類似した役割を持てる可能性があります。金融機関でのオンライン本人確認と同じ仕組みを応用するイメージです。
参考:大和総研によるレポート。エストニアの電子投票システムと日本への導入可能性を詳しく分析。
ネット投票率50%超のエストニアから考える日本の選挙制度改革(大和総研, 2024年11月)
日本の電子投票が現在もほぼ停滞している背景には、ある歴史的な事件が深く関係しています。それが「可児市ショック」と呼ばれる2003年の出来事です。
2003年7月、岐阜県可児市の市議会議員選挙において、電子投票システムが選挙本番でトラブルを起こしました。投票所では複数の端末がフリーズし、再起動を繰り返す異常事態が発生。一部の有権者が投票できない、あるいは投票が正常に記録されない状況になりました。
この問題は裁判に発展し、名古屋高裁は2005年3月に「選挙無効」の判決を下し、最高裁でも確定しました。日本の地方選挙で電子投票のシステム障害を理由に選挙が無効となったのは、この事例が初めてです。改めて選挙が行われたのは2005年のこと。2年間にわたって議会が宙に浮く異常事態となりました。
この「可児市ショック」以降、電子投票条例を制定した自治体のほぼすべてが条例を廃止または休止しました。2016年以来、公職選挙での電子投票の実施は約8年間にわたって途絶えます。技術的なトラウマが行政判断に与えた影響は計り知れません。
技術への信頼が一度失われると、回復には非常に時間がかかります。
2024年12月の四條畷市の事例では、ネットワーク接続を持たない「スタンドアローン方式」を採用し、可児市の教訓を活かした設計を取り入れました。投票データをUSBメモリーに直接記録することで、ネットワーク障害によるトラブルリスクを排除しています。開票は97本のUSBを1本ずつ集計用パソコンに差し込む地道な作業でしたが、今回はトラブルなく完了し、電子投票の無効票はゼロという結果になりました。
技術改善の面では一歩前進です。しかし、この「スタンドアローン方式」はネットワーク接続がない分、インターネット投票とは異なり、依然として「投票所に行く必要がある」という制約が残ります。投票率向上という意味ではまだ限界があります。
技術的な安全性と利便性のバランスをどう取るか、が重要な条件です。
現時点での電子投票に興味がある自治体や企業(株主総会での活用を検討している場合など)は、スタンドアローン方式の安全性を確認した上で、段階的に試験導入するアプローチが現実的です。
ここまでは公職選挙の文脈で電子投票を見てきましたが、金融に関わる人たちにより直接関係するのが「株主総会における電子投票」です。実はこの分野は日本でも急速に普及が進んでおり、独自の問題点があります。
読売新聞(2022年5月)によると、プライム市場の上場企業の85%以上が機関投資家向けの電子投票(議決権行使プラットフォーム)を導入済みです。個人投資家向けにも、ネット証券経由での議決権行使が当たり前になってきました。
しかし、株主総会の電子投票には選挙とは異なる特有の問題点があります。
第一の問題は「議決権プラットフォームの集中リスク」です。日本では、機関投資家の大部分が「ICJプラットフォーム(Investor Communications Japan)」などの特定のシステムに集中して議決権を行使しています。このシステムが障害を起こした場合、多くの機関投資家が一斉に議決権を行使できなくなるリスクがあります。金融インフラで言えば、決済システムの集中リスクと同じ構造です。
第二の問題は「バーチャルオンリー株主総会における質問チェリーピッキング」です。経済産業省の研究会(2024年11月)でも指摘されているように、完全オンラインの株主総会では、企業が都合の悪い質問を選別して回答しない「チェリーピッキング」のリスクがあります。これは株主の権利が実質的に制限されることを意味し、コーポレートガバナンス上の重大な問題です。
第三の問題は「個人投資家の議決権行使率の低さ」です。プラットフォームが整備されていても、実際に議決権を行使する個人株主は依然として少数派です。電子投票の仕組みが整っても、使われなければ意味がありません。
これらは数字上の問題ではなく、実際の株主価値に影響します。議決権が正しく行使されなければ、経営監視機能が弱まり、長期的には株価や配当にも影響が出る可能性があります。
株主として議決権行使に積極的に関わりたい場合、各証券会社の「インターネット議決権行使システム」の利用方法を確認しておくことが有効です。多くのネット証券では株主総会の資料閲覧から議決権行使まで、スマホ一つで完結できる環境が整いつつあります。
まとめると、電子投票の問題点は「セキュリティ」「コスト」「投票率への効果」「技術的信頼性」「プラットフォームの集中リスク」の5つに集約されます。セキュリティと利便性を両立できる技術の成熟と法整備が、電子投票普及の大前提となっています。どちらか一方だけでは、本当の意味での「民主主義のデジタル化」は実現しません。金融や投資の世界と同じように、透明性・検証可能性・リスク分散が、電子投票の信頼構築にも不可欠な条件と言えるでしょう。