
生前贈与を受けた相続人であっても、相続放棄をすることは法的に認められています。これは生前贈与と相続放棄が全く別の制度であるためです。
生前贈与は被相続人の生存中に行われる無償の財産移転であり、当事者間の合意のみで成立します。一方、相続放棄は被相続人の死後に家庭裁判所に対して行う法的手続きです。
民法上では、生前贈与を受けた場合に相続放棄が認められないという制約は一切設けられていません。そのため、多額の生前贈与を受けていたとしても、被相続人の死後に多額の借金や連帯保証債務が判明した場合、相続人は問題なく相続放棄を選択できます。
ただし、この原則には例外があります。詐害行為取消権の対象となる贈与の場合、債権者によって贈与が取り消される可能性があります。これは、債務者が債権者に弁済する資力がない状態で、債権者を害することを知りながら贈与を行った場合に適用されます。
相続放棄をしても、特定の条件下では相続税の課税対象となる場合があります。最も重要なのは、相続開始前3~7年以内に行われた生前贈与です。
令和6年度税制改正により、生前贈与加算の期間が従来の3年から7年に延長されました。これにより、相続放棄をした相続人であっても、以下の条件を満たす場合は相続税が課税される可能性があります。
具体例を見てみましょう。父親から5年前に1,000万円の生前贈与を受けた長男が相続放棄をした場合でも、遺産総額3,000万円と合わせて4,000万円が相続税の計算対象となります。基礎控除額(3,000万円+600万円×相続人数)を超えた場合、相続税が課税されます。
相続時精算課税制度を利用していた場合も同様です。この制度では、贈与時には贈与税が課税されませんが、相続時に贈与財産も含めて相続税が計算されるため、相続放棄をしても税務上の責任は残ります。
相続放棄を検討している場合は、事前に税理士などの専門家に相談し、相続税の課税リスクを正確に把握することが重要です。
相続放棄をしても、生前贈与が詐害行為として取り消される可能性があります。詐害行為取消権は、債務者の財産減少行為によって害された債権者が、その行為を取り消すことができる権利です。
詐害行為取消権が行使される要件は以下の通りです。
実際の事例では、経営していた会社が赤字で多額の連帯保証債務を抱えていた父親が、その状況を知りながら子供に多額の贈与を行った場合などが該当します。
取り消された場合の影響は深刻です。
詐害行為取消権には除斥期間があり、債権者が取消しの原因を知った時から2年、行為の時から20年で権利が消滅します。しかし、この期間内であれば債権者から訴訟を提起される可能性があるため、生前贈与の状況によっては法的リスクを抱えることになります。
特別受益証明書と相続放棄は、よく混同されがちですが、全く異なる制度です。特別受益証明書は「自分は相続しないことを認める書類」ですが、正式な相続放棄ではありません。
両者の主な違いを表で整理すると。
項目 | 特別受益証明書 | 相続放棄 |
---|---|---|
手続き場所 | 当事者間 | 家庭裁判所 |
債務の扱い | 免除されない | 完全に免除 |
撤回の可否 | 困難 | 原則不可 |
法的効力 | 限定的 | 絶対的 |
特別受益証明書の最大の問題点は、借金などの債務が免除されないことです。相続人同士で「借金は他の相続人が支払う」と約束していても、それは債権者には関係がありません。つまり、遺産は受け取らないが借金の支払い義務は残るという最悪の状況になる可能性があります。
さらに、特別受益証明書は一度署名すると撤回が極めて困難です。無効を主張するには裁判で証明する必要があり、時間と費用がかかります。
相続登記などの手続きで「便利な書類」として利用されることがありますが、法的リスクを十分理解せずに署名するのは危険です。確実に相続関係から離脱したい場合は、家庭裁判所での正式な相続放棄手続きを選択すべきです。
相続放棄をした場合でも、遺留分侵害額請求の対象となる可能性があります。これは多くの人が見落としがちな重要なポイントです。
遺留分侵害額請求の対象となる生前贈与の範囲。
相続放棄をすると、その人は最初から相続人ではなかったものとして扱われます。その結果、相続放棄をした人が受けた生前贈与は「相続人以外の人に対する生前贈与」と位置づけられ、遺留分計算の対象となる可能性が高まります。
実際のケースで考えてみると。
🔹 ケース1:父親が長男に相続開始前6か月に2,000万円を贈与
→ 長男が相続放棄しても、他の相続人から遺留分侵害額請求を受ける可能性
🔹 ケース2:父親が長男に相続開始前3年に1,000万円を贈与(双方が遺留分侵害を認識)
→ 同様に遺留分侵害額請求の対象となる可能性
遺留分侵害額請求を受けた場合、金銭での返還が必要となります。不動産などの現物で贈与を受けていた場合でも、金銭で支払う必要があるため、場合によっては不動産を売却しなければならない事態も想定されます。
相続放棄を検討する際は、生前贈与の時期と金額、他の相続人の遺留分を正確に計算し、将来的な遺留分侵害額請求のリスクも含めて総合的に判断することが重要です。専門家による事前の詳細な検討なしに決断するのは避けるべきでしょう。