リスクアセスメントの実施義務と手順を正しく理解する

リスクアセスメントの実施義務と手順を正しく理解する

リスクアセスメントの実施義務を正しく理解して損失を防ぐ

「罰則がないから未実施でも問題ない」と思うと、億単位の損害賠償を請求されることがあります。


この記事の3つのポイント
⚖️
義務の種類をきちんと区別する

「努力義務」と「法的義務」は別物。化学物質を扱う事業者には実施が義務付けられており、未実施は法令違反になります。

📋
実施手順と正しいタイミングを知る

設備の新設・作業変更・新規物質の使用開始など、実施すべき具体的なタイミングが法令で定められています。

💰
未実施のリスクを正確に把握する

労災発生時には安全配慮義務違反として1億円超の損害賠償を命じる判決も。「罰則なし」の思い込みが最大の落とし穴です。


リスクアセスメントの実施義務とは何か:法律の基本を整理する

リスクアセスメントとは、職場に潜む危険性・有害性を特定し、労働災害が起きるリスクの大きさを見積もって、対策の優先順位を決める一連のプロセスです。金融や投資に関心のある方にとっては、「リスクを数値化して意思決定に活かす」という考え方に近く、本質的な発想は同じだといえます。


まず、法律の区分を正確に整理することが大切です。リスクアセスメントには大きく2つの義務区分があります。


1つ目は労働安全衛生法第28条の2に基づく「努力義務」です。2006年(平成18年)4月1日以降、すべての事業者に対して、危険性または有害性の調査(リスクアセスメント)の実施が努力義務として課されています。業種・規模の要件はありません。


2つ目は労働安全衛生法第57条の3に基づく「実施義務(強制義務)」です。こちらは、SDS(安全データシート)の交付義務対象となっているリスクアセスメント対象物質を取り扱う事業者に対して課される、より厳格な義務です。つまり「努力義務」と「法的義務」は別物だということですね。


2022年の労働安全衛生法改正により、この対象物質は大幅に拡大されました。改正前は約670種類だった対象物質が、改正後は約2,900種類へと一気に増加しています。さらに2024年4月には234物質が追加され、2025年4月時点では約1,600種類が指定されています(今後も段階的に追加予定)。


🏭 塗料・接着剤・洗浄剤・溶剤など、製造現場でよく使われる化学物質の多くがすでに対象に含まれているため、「うちは関係ない」と思っている事業者ほど注意が必要です。


また、2024年4月から化学物質管理者の選任も義務化されました。リスクアセスメント対象物を取り扱うすべての事業場(規模不問)で、化学物質管理の技術的事項を担う担当者を選任しなければなりません。義務化は対象物質の扱いがある限り、業種を問わず適用されます。


厚生労働省:化学物質対策に関するQ&A(リスクアセスメント関係)|実施義務の詳細・タイミング・対象物質の確認方法を公式に解説


リスクアセスメントの実施手順:5つのステップで正確に進める

リスクアセスメントは「何となくやった」では意味がありません。法令が求める5つの手順を正しく踏むことが、労働災害の防止にも義務履行の証明にもつながります。


ステップ①:危険性・有害性(ハザード)の特定


取り扱う化学物質について、SDS(安全データシート)のGHS分類欄を確認し、爆発性・引火性・急性毒性・発がん性などのハザードを洗い出します。SDSが手元にない場合は、製品の製造・販売元に請求することが可能です。ここが基本です。


ステップ②:リスクの見積もり


特定したハザードについて「発生可能性」と「重篤度(けがや健康被害の深刻さ)」を掛け合わせてリスクレベルを算出します。主な手法は2種類あります。


- コントロール・バンディング:取り扱い量・揮発性・有害性の区分を入力するだけで簡易的にリスク推定ができる厚労省提供のツール。コストゼロで利用可能です。


- CREATE-SIMPLE(クリエイト・シンプル):より詳細な推定ができる、やはり無料の厚労省提供ツール。数値入力で自動算出されます。


どちらも厚生労働省の職場のあんぜんサイトから無料でアクセスできます。これは使えそうです。


ステップ③:リスク低減措置の検討


見積もったリスクが高いほど、優先して対策を講じます。優先順位の基本は「①ハザードの除去(危険物質の代替)→ ②工学的対策(排気設備の設置)→ ③管理的対策(作業手順の変更)→ ④個人用保護具の使用」の順番です。


2024年4月以降は、ばく露レベルが「3(中程度のリスク)」以上と判定された場合、ばく露レベルを2以下に低減させる対策の実施が義務付けられています。重要な変更点です。


ステップ④:リスク低減措置の実施


検討した措置を速やかに実行に移します。設備の導入やルール変更を含む場合は、コスト・工期のスケジュールも合わせて管理することが求められます。


ステップ⑤:結果の記録と労働者への周知


実施した内容(対象物質・特定したハザード・リスクレベル・講じた措置)を記録し、関係する労働者に周知しなければなりません。記録の保存期間については、がん原性物質については30年間の保存が義務付けられています。


中央労働災害防止協会:リスクアセスメントの進め方と効果|各手順のポイントを図解で解説する公式ページ


































ステップ 内容 主なツール・資料
①ハザードの特定 SDSのGHS分類を確認 SDS・厚労省検索サイト
②リスクの見積もり 発生可能性×重篤度で算出 CREATE-SIMPLE・コントロール・バンディング
③措置の検討 優先順位に従い対策を選定 指針・業界ガイドライン
④措置の実施 実行・スケジュール管理 設備業者・労働衛生コンサルタント
⑤記録・周知 文書化・労働者への説明 社内フォーム・掲示板


リスクアセスメントの実施タイミング:義務が発生する3つの場面

「リスクアセスメントはいつやればいいのか」という疑問は多くの担当者が持つポイントです。労働安全衛生規則第24条の11では、実施すべきタイミングが具体的に定められています。タイミングを間違えると義務違反になりかねません。


タイミング①:対象物質を新たに取り扱い始めるとき


新規に化学物質を導入した際は、その物質の使用開始前にリスクアセスメントを実施することが求められます。「とりあえず使いながら考える」というアプローチは認められません。


タイミング②:設備・作業方法・作業手順を変更するとき


設備を更新した場合、作業フローを変えた場合、使用する化学物質の量や濃度が変わった場合など、変化があれば必ずリスクアセスメントを実施します。「前回やったから今回は省略」はダメです。


タイミング③:労働災害または疾病が発生したとき(過去の評価内容に問題があったとき)


実際に事故や健康障害が起きた場合、過去のリスクアセスメントの内容や実施状況を見直すことが求められます。再発防止策を含めたアセスメントの更新が必要になります。


この3つのタイミングに加えて、「以前リスクアセスメントを実施していない作業や設備がある場合」にも、努力義務として早期に実施することが求められています。金融的に言うと、リスクを把握しないまま資産を保有しているようなもので、損失が顕在化してから動くのでは手遅れになる可能性があります。


💡 実務上のポイントとして、「変更管理台帳」を作り、設備・材料・手順の変更が生じたときにリスクアセスメントの要否を確認するフローを社内に組み込んでおくと、抜け漏れを防ぎやすくなります。設備台帳とリスクアセスメント記録を連動させる方法は、多くの製造業で標準的に取り入れられています。


労働安全衛生総合研究所:ケミサポ(cheminfo)|リスクアセスメント対象物質の検索・実施タイミングの確認に活用できる公式ポータル


リスクアセスメント未実施の実際のリスク:「罰則なし」の思い込みが最大の危険

「努力義務だから罰則がない=やらなくてもいい」という解釈は、法的にも財務的にも非常に危険です。この誤解が最も大きな落とし穴です。


まず法的な側面から整理します。確かに、一般的なリスクアセスメント(安衛法第28条の2に基づく努力義務)には刑事罰の規定はありません。しかし、対象物質を取り扱う事業者に課された実施義務(第57条の3)に違反した場合は、行政指導の対象となり、最悪の場合は営業停止処分を受けるリスクがあります。


さらに重大なのは、民事上のリスクです。リスクアセスメントを実施していない状態で労働災害が発生した場合、企業は労働契約法第5条に基づく「安全配慮義務違反」として損害賠償請求を受ける可能性があります。過労死やメンタルヘルス関連の裁判では、企業側に1億円を超える損害賠償を命じる判決が珍しくない状況になっています。


数字で言うと、労災に関連する民事訴訟の賠償額は数千万円から億単位に及ぶことがあり、企業の1〜2年分の経常利益が吹き飛ぶ規模になることもあります。痛いですね。


加えて、金融機関向けの視点では別の義務も存在します。銀行・信用金庫・証券会社などの金融機関は、マネー・ローンダリング(マネロン)対策においても「リスクアセスメント(リスク評価)の実施」が義務化されています。金融庁ガイドラインに基づき、自社の顧客・商品・取引チャネルごとのマネロンリスクを特定・評価・低減することが求められており、2024年3月末がその態勢整備の期限でした。


この期限までに対応できなかった金融機関に対しては、金融庁・各財務局が行政処分(業務改善命令等)を発出しています。2024年12月にはイオン銀行が業務改善命令を受け、2025年3月には羽後信用金庫も同様の処分を受けるなど、実際の処分事例が相次いでいます。


金融庁:マネー・ローンダリング等及び金融犯罪対策の取組と課題(2025年6月)|マネロンリスクアセスメントの実施状況と課題、処分事例の背景を解説


金融×リスクアセスメント:投資家・金融機関・事業会社それぞれの視点

金融に関心のある読者にとって、リスクアセスメントは「工場の安全管理だけの話」ではありません。実はリスクアセスメントの思想と手法は、金融のさまざまな場面に組み込まれています。


金融機関(銀行・証券・保険)の場合


金融機関にとってのリスクアセスメントは、主に次の2つの文脈で義務として機能しています。1つはマネロン・テロ資金供与リスクの評価(AML/CFT)で、金融庁ガイドラインに基づき「顧客リスク評価」「取引フィルタリング」「リスクベース・アプローチ」を実施することが求められています。もう1つは、金融庁の「内部監査の高度化」の観点から、リスクアセスメントを活用した内部監査計画の策定が求められています。


事業会社(製造業・建設業など)の場合


職場の安全衛生管理として、前述の労働安全衛生法に基づくリスクアセスメントが義務・努力義務として課されています。これは企業の「ESG(環境・社会・ガバナンス)」評価にも直結しており、上場企業では投資家からの目線にも影響します。リスクアセスメントの実施状況が不十分と見なされれば、ESG格付けに影響し、資金調達コストが上昇するリスクもあります。


個人投資家・資産運用の場合


個人が資産運用を行う際も、リスクアセスメントの発想は直接活かせます。株式・債券・不動産・外貨など各資産の「リスク(変動性)」を定量的に把握し、自分のリスク許容度と照らし合わせてポートフォリオを組む作業は、まさにリスクアセスメントの応用です。


| 立場 | リスクアセスメントの主な用途 | 法的義務 |
|---|---|---|
| 製造業事業者 | 化学物質・設備の危険性評価 | あり(安衛法) |
| 金融機関 | マネロンリスク評価・内部監査 | あり(金融庁ガイドライン) |
| 上場企業 | ESG・安全衛生管理の開示 | 一部あり |
| 個人投資家 | ポートフォリオのリスク把握 | なし(自己管理) |


つまり、リスクアセスメントは「ある職種だけに必要な手続き」ではなく、リスクを扱うすべての場面で活用できる普遍的なフレームワークだということです。


アビタス:マネロン対策のリスクベース・アプローチとは?金融庁ガイドラインが求める実施方法と考え方を解説


リスクアセスメントの実施を効率化する独自の視点:「記録の質」が法的防衛力を決める

リスクアセスメントの実施において、多くの現場で見落とされがちな視点があります。それは、「やったかどうか」ではなく「どの程度の精度で記録されているか」が、いざというときの法的リスクを左右するという点です。


労働災害が発生して訴訟になった場合、企業側が安全配慮義務を果たしていたことを立証するのは企業側の責任です。このとき、リスクアセスメントの記録は「事業者が危険性を認識し、合理的な対策を講じていた」ことを示す重要な証拠になります。記録の有無が裁判の分岐点になるわけです。


具体的に「記録の質」を高めるためには、次の点が重要です。


- 対象物質名・CAS番号・使用量などの基本情報を正確に記載する
- リスク見積もりの根拠(使用ツール・入力値・計算結果)を残しておく
- 措置を実施した日付・担当者名・方法を明記する
- 労働者への周知日・方法・対象者のリストを保管する


💼 特にがん原性物質(ベンゼン、ホルムアルデヒドなど)については、健康被害が数十年後に発症することがあるため、記録の保存期間は30年間が義務付けられています。これは紙管理では現実的に難しく、電子記録システムの導入が強く推奨されます。


記録の整備・管理を効率化する方法として、化学物質管理専用のSaaS型ソフト(SmartSDS、化学物質管理支援ツールなど)の活用が広まっています。SDS管理・リスクアセスメント記録・法改正への対応を一元化できるため、担当者の負荷を大きく下げることができます。検討する価値があります。


記録の「量」より「質」が大切です。たとえ毎年実施していても、記録が断片的で根拠が不明瞭なものでは、訴訟時に「義務を果たした証拠」として機能しません。形式的なリスクアセスメントは、やっていないのと実質的に変わらない場合があることを認識しておく必要があります。


SmartSDS Journal:リスクアセスメントは誰がやる?担当者と選任義務・記録保存のポイントを詳しく解説