

日銀考査を拒否しても、法律上の罰則はありません。
日本銀行考査(にちぎんこうさ)とは、日本銀行が金融システムの安定維持を目的として、取引先金融機関に実際に立ち入り、業務・財産の状況を調査する仕組みです。つまり、日銀が金融機関を「健康診断」する行為です。
この制度の起源は1920年代にさかのぼります。第一次世界大戦後の「大戦景気」の崩壊と戦後恐慌を受け、1926年に設置された金融制度調査会が制度整備を答申。その結果、1928年6月に「日本銀行考査部」が正式に新設されました。約100年の歴史を持つ制度です。
現在の法的根拠は1998年4月施行の新日本銀行法第44条です。同条では「日本銀行は、業務の相手方となる金融機関等との間で考査に関する契約を締結することができる」と定められており、考査の法的位置づけが初めて明文化されました。それ以前の1882年の日本銀行条例にも、1942年の旧日本銀行法にも、考査に関する条文は存在していなかったことは意外に知られていません。
考査の対象は幅広く、国内銀行、外国銀行の日本支店、信用金庫、そして証券会社など多岐にわたります。2024年度の実績では、国内銀行20先・信用金庫41先・外国銀行や証券会社等7先の合計68先に対して考査が実施されました。東京都内の事業所数が約70万社と言われる中で68先というのは非常に限定的であり、それだけ対象機関にとって考査の重みが大きいことがわかります。
考査は日銀の金融機構局が担当しており、毎年度の実施方針を政策委員会で決定・公表しています。つまり、金融機関は「今年度、日銀がどこに目を光らせているか」を事前に把握できる建て付けになっています。これは金融庁検査とは大きく異なる、透明性を重視した運営スタイルです。
参考:日本銀行「考査とは何ですか?」(公式説明ページ)
https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/pfsys/e04.htm
金融に携わる人が最初に混乱するのが、「日銀考査」と「金融庁検査」の違いです。どちらも金融機関に立ち入って調査するという点は同じですが、その性質はまったく異なります。
まず法的根拠が違います。金融庁検査は銀行法等に基づく行政権限の行使であり、「立入検査権」や「資料提出請求権」を持つ強制的なものです。一方で日銀考査は、日本銀行法第44条に基づく「考査契約」という民間契約ベースの調査です。行政権限ではありません。
目的も異なります。金融庁検査は、法令遵守・消費者保護・財務健全性の確保を主目的とし、問題があれば行政処分(業務停止命令など)につながります。日銀考査は、個別金融機関の経営破綻が他機関に連鎖し決済・金融システム全体が機能不全に陥る「システミック・リスク」の顕現化防止を主目的としています。端的に言えば、金融庁は「個々の利用者保護」、日銀は「システム全体の安定」を見ています。
もう一つの重要な違いが「交互原則」です。日銀考査が始まった1928年以来、長年にわたり大蔵検査(後の金融庁検査)と日銀考査は金融機関に対して交互に実施されるという「交互原則」が保たれてきました。しかし1998年の新日本銀行法施行後はこの原則が廃止され、両者の目的・内容・タイミングは独立して設定されるようになりました。交互原則は現在では存在しません。
また「罰則の有無」も大きな違いです。金融庁検査で立入を拒否した場合は法律上の罰則が適用される可能性があります。一方、日銀考査を拒絶しても、直接的な法律上の罰則はありません。ただし後述するように、それが「実質的に当座預金取引の解約」につながりうるため、実態として拒絶は不可能に近い構造になっています。厳しいところですね。
参考:日本銀行「日本銀行の考査と金融庁の検査との違いは何ですか?」
https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/pfsys/e13.htm
参考:野村総合研究所「金融庁・検査と日本銀行・考査の見直し議論」
https://www.nri.com/jp/media/column/kiuchi/20201022.html
実際の考査は3つのステージで進行します。この流れを知ることで、金融機関側の対応負荷や日銀側の本気度が見えてきます。
第1ステージ:事前準備(立入開始の6〜7週間前から)
まず日銀側が金融機関に考査の申し込みを行い、承諾を得ます。その後3〜4週間前から金融機関が事前資料を提出し、考査チームがこれを約3週間かけて分析します。着眼点を明確化し、立入調査の方針を固めます。考査員の氏名・役職も事前に金融機関へ通知されます。これは安心感を与えるための配慮です。
第2ステージ:立入調査(通常考査は約13営業日=約2〜3週間)
考査チームは「ジュラルミンケース」に資料を厳重格納して金融機関へ立ち入ります。初日の午前中は役員陣と考査チーム全員の面談からスタートし、頭取・理事長クラスも出席します。2日目以降、①資産査定(貸出金の正常・要注意などの債務者区分が適切か確認)、②各種リスク管理体制の検証(信用・市場・流動性・オペレーショナルリスク等)が進行します。チームは毎回異なるメンバー構成で8名前後が編成されます。
第3ステージ:取りまとめ(立入終了から2〜3週間後)
立入期間終了後、日銀に戻り考査結果を資料にまとめます。その後、考査役が金融機関の経営トップを訪問して考査結果を伝達し、リスク管理面の改善を働きかけます。結論は〇〇です、という形で明確に示されます。
2023年度以降は「立入調査とリモート手法を組み合わせたハイブリッド型考査」が標準となっており、2025年度も継続されています。例えば約3週間の通常考査では、前半2週間を立入、後半1週間をリモートとするのが基本型です。デジタル化の波は考査の現場にも届いています。
また、2022年度からは一部地域金融機関に対して期間を約2週間に短縮した「短期考査」も導入されました。金融機関の事務負担軽減と考査の効率性向上の両立を目指したリスクベース・アプローチの一環です。これは使えそうです。
参考:日本銀行「日本銀行金融機構局『考査』の仕事」(現場レポート)
https://www.boj.or.jp/about/annai/genba/focusboj/focusboj08.htm
「日銀考査はどのくらいの頻度で来るのか?」これは金融機関にとって非常に切実な問いです。実態を正確に理解しておくことが金融実務の基礎になります。
金融庁・日本銀行の公表資料によれば、大手金融機関に対しては、金融庁が「常時検査」を実施している一方、日銀考査は「3年に1度程度の頻度」で実地を伴う考査を実施しています。地域金融機関や信用金庫に対しては、リスクプロファイルや経営状況に応じて頻度にメリハリが付けられており、一律の周期は設けられていません。これがリスクベース・アプローチの原則です。
2024年度の実施状況を見ると、国内銀行20先・信用金庫41先・外国銀行や証券会社等7先の合計68先が対象でした。日本全国には都市銀行・地銀・第二地銀・信用金庫等を合わせると数百の金融機関が存在しますが、その中で一年間に考査を受けるのは68先です。全金融機関の中で考査を受ける割合は決して高くないものの、対象になった機関にとっては2〜3週間という相当の時間とリソースを要する一大イベントになります。
また、証券会社も日銀考査の対象である点は見落としがちです。「考査は銀行だけが受けるもの」という思い込みが金融に関心を持つ人の中にも少なくありません。日銀の当座預金取引を行う証券会社は対象となります。2024年度も外国銀行・証券会社等として7先が考査を受けています。
さらに、考査先の子会社や持株会社、業務委託先に対しても、個別に同意を得たうえで立入調査等を実施できる仕組みになっています。グループ全体を視野に入れた調査が可能です。金融グループとして経営している先は、子会社・関連会社も含めて考査の範囲に入りうることを把握しておく必要があります。
なお、考査の頻度・期間・調査範囲・提出資料・要員数はすべて「リスクベース・アプローチ」に基づいて機関ごとに調整されています。リスクが高いと判断された機関には、より高い頻度・密度で考査が実施されます。これが基本です。
参考:金融庁・日本銀行「金融庁・日本銀行のさらなる連携強化に向けて」(2021年)
https://www.fsa.go.jp/frtc/kikou/2021/20210518.pdf
「日銀考査を拒否しても法律上の罰則はない」という事実は確かです。しかし、これをもって「考査を無視しても大丈夫」と考えるのは大きな誤解です。現実には、それをはるかに上回る実質的なペナルティが存在します。
日本銀行は、金融機関が正当な理由なく考査や情報提供を拒絶した場合、その事実を公表することができます。それだけでなく、当該金融機関との当座預金取引等を解約することもあり得ます。当座預金取引とは、金融機関が日々の決済を行うための根幹インフラです。これを失うことは、銀行としての業務継続が事実上不可能になることを意味します。ただ公表されるだけでも金融機関への信用失墜は避けられません。
この「実質的ペナルティ」が現実に発動された事例が存在します。その代表例が「スルガ銀行」と「日本長期信用銀行」です。
スルガ銀行は2014年12月および2018年2〜3月に実施された考査において、一部の会議体の存在や報告内容を意図的に記載しない資料を提出し、さらに議事録の一部に実態とは異なる情報を掲載した虚偽資料を提出しました。これは考査契約第13条第1項に違反する行為として、日本銀行は2019年10月11日に「事実の公表」を行いました。同行に対しては経営管理態勢等の改善策と実施状況の報告も求められています。
日本長期信用銀行(長銀)も1998年5〜6月の考査において、求められた報告・説明・資料提出を正当な理由なく拒否した事実が公表されています。長銀はその後同年10月に経営破綻しており、経営危機の真只中にあった時期の考査対応の実態が浮かび上がります。意外ですね。
また、1998年のアジア金融危機の際には米国財務副長官ローレンス・サマーズが日銀考査資料の提供を要求した事実が残っています。当時の速水総裁が提供指示を出したものの、信用機構担当理事の安斎隆氏が引き延ばして応じず、結果として資料は米国に渡らなかったと回想されています。日銀は考査で得た情報について、金融庁への提供以外は守秘義務を負っており、中央銀行としての情報管理の厳格さが伝わるエピソードです。
これらの事例からわかるのは、「法的罰則はない=何をしてもいい」ではなく、「信頼関係を壊すと当座預金取引という経営の根幹を失う」という構造です。当座預金解約に注意すれば大丈夫です、というよりも、そもそも解約リスクを引き起こす行為自体を避ける誠実な考査対応が金融機関に求められます。
参考:日本銀行「スルガ銀行の考査契約違反行為に関する事実の公表について」
https://www.boj.or.jp/finsys/exam_monit/rel191011b.htm
参考:日本銀行「日本長期信用銀行の考査契約違反行為に関する事実の公表について」
https://www.boj.or.jp/finsys/exam_monit/un9910a.htm
日銀考査は毎年度、政策委員会で決定された実施方針が公表されます。方針の変化を追うことで、日銀がいま何に注目しているかが浮かび上がります。これは金融実務家にとって重要な先行情報です。
2025年度の考査実施方針(2025年3月11日公表)では、主に以下の3点が重点事項として挙げられています。
① 収益力・経営体力と経営管理の実効性
円金利の上昇を踏まえた国内預貸業務の収益力変化、特に「預貸金の金利追随率の実現可能性」に強い関心が示されています。金利が上昇しても、貸出金利や預金金利をどのくらいのスピードで追随させられるかという実態が問われる局面です。ROE向上を目指しリスクテイクや株主還元を積極化する先については、RORA(リスク調整後収益)などの採算性指標の活用状況も確認されます。
② ガバナンス体制の有効性
内部監査の機能度、グループ・グローバル経営に対応したガバナンス体制、経営情報の把握体制などが確認されます。持株会社傘下の金融グループや海外拠点を有する機関は、各法域の規制動向を踏まえたグループ統制状況が問われる点に注意が必要です。
③ 各種リスク管理体制
注目すべきはサイバーセキュリティと気候変動リスクです。ランサムウェア等の脅威が高まる中、「基本動作の徹底」や「サードパーティ(グループ会社・委託先)管理」が不十分な先が引き続き確認されており、2025年度も重点検証項目に据えられています。気候関連金融リスクについても、シナリオ分析・情報開示・取引先支援の状況が問われます。
また、マネー・ローンダリング(マネロン)対策も引き続き金融庁との連携の枠組みを通じて点検されます。全体として体制整備は進んでいるものの、「一部に対応が不十分な先」がいまだあることが2024年度考査でも確認されたとされており、楽観は禁物です。
実務的な視点で付け加えると、2023年度以降に定着した「ハイブリッド型考査(立入+リモート)」は2025年度も継続されます。立入2週間+リモート1週間が基本型ですが、金融機関の状況によって比率が調整されます。金融機関の担当者にとっては、リモート対応の準備体制(データのオンライン提出・システム整備)も重要な考査準備項目になっています。
参考:日本銀行「2025年度の考査の実施方針等について」(PDF)
https://www.boj.or.jp/finsys/exam_monit/exampolicy/kpolicy25.pdf