
受益者負担の原則とは、公共サービスや施設から特定の利益を受ける人(受益者)が、その便益に応じて費用を負担するという考え方です。この原則は、市場経済において、市場の失敗が生じない限り、利益を受けるもの(受益者)が市場で決まる価格を支払い(負担し)、その経費及び生産者への利益へ回す仕組みが最適となることを述べたものです。
英語では "Beneficiary Pays Principle (BPP)" または "User Pays Principle" と呼ばれ、「便益(benefit)」というキーワードがその名称に反映されています。基本的に受益者は、財・サービスの購入によって、その支払い額以上の便益(利益)を得ることが前提となっています。
この原則が重要視される背景には、公共サービスは市民の税金により実施されますが、施設の利用や証明書の発行など利益を受ける人が特定されるものについては、全てを税金で賄うとサービスを受ける人と受けない人との間に不公平が生じるという考え方があります。そのため、利益を受ける特定の人に、施設の維持管理に要する費用やサービス提供のための費用の一定額を負担してもらうことが必要とされているのです。
公共財とは、非排除性(対価を支払わない人を利用から排除できない性質)と非競合性(ある人の利用が他の人の利用を妨げない性質)を持つ財やサービスを指します。典型的な例としては、国防、警察、消防、街灯などが挙げられます。
公共財に対しては、その定義である非排除性あるいは非競合性により、通常は市場の失敗が生じ最適が実現不可とされ、従って受益者負担の適用前提条件外と考えられています。しかし、公共財の受益者に対しても受益者負担を適用する考え方も存在し、ある特定の公共財の建設や改良を行うことにより、特にその利益を受けるもの(受益者)が原則としてその利益に見合った経費を負担するという考え方もあります。
例えば、公共下水道の整備工事に伴い、建物・土地所有者に求められる「受益者負担金」はその一例です。公共下水道への接続は、下水道法で一定の猶予期限はあるものの、義務とされています。この場合、全てを税金で賄うと、サービスを受ける者と受けない者との不公平が生じるとして、サービスにより利益を受ける特定の方に、受益の範囲内で負担してもらうという考え方が適用されます。
義務教育や一般道路、公衆衛生など広く一般に行われる行政サービス、公共工事に対しては、住民の能力に応じて負担する租税による負担とは異なる考え方が適用されることがあります。なお、行政が受益者に負担を求める場合でも租税と同様に法的な根拠が必要とされます。
受益者負担の原則と対比されるのが「設置者負担の原則」です。特に教育分野においてこの二つの原則の違いが議論されることが多いです。
設置者負担の原則とは、学校の設置者たる国、地方公共団体、学校法人が教育に必要な経費を負担するという考え方です。しかし、設置者負担の原則を導入したからといって、学校の設置者が必要経費の全てを自己財源でまかなっているわけではありません。自己財源の他に、受益者負担である授業料、寄付金や法令に定のある場合の補助金などによって収入を得ています。
「設置者負担」と言っても、教育の受け手が費用を負担しないということではなく、現在の義務教育でも体操服代や給食代がかかるように、部分的に家計からの支払いが行なわれることがあります。これは、「受益者負担」といっても「設置者負担」が無いわけではないことと同じです。
また、「設置者負担」は国民の税金で費用が払われるということであり、間接的には教育の受け手がその費用を払っていることになります。「受益者負担」と「設置者負担」の違いは、教育の受け手が直接に費用を支払うか、それとも国民が税負担によって間接的に負担をするかの違いに求められると言えます。
受益者負担の原則は様々な分野で適用されています。いくつかの具体的な事例を見てみましょう。
公共下水道の整備区域内にある土地の所有者または権利者(受益者)に対して、土地の面積に応じた負担金が課されます。例えば、つがる市では土地の面積1平方メートル当たり230円(10円未満の端数がある場合切り捨て)の負担金が設定されています。また、一括納付すると10%割引になるなどの制度も設けられています。
公共施設(体育館、公民館、図書館の有料サービスなど)の利用に際して、施設の維持管理費の一部を利用者が負担する形で使用料が設定されています。豊島区では、区民の間の平等と公正を確保し、受益者負担の適正化を図るために、使用料及び手数料について、継続的な点検・見直しを行っています。
再生可能エネルギーの導入には一時的にコストが発生しますが、それは最終的に便益を生み出すものなので、便益を享受する人たちがそのコストを少しずつ負担するという考え方が適用されています。欧州や北米では、送電会社や規制機関がこの考え方を採用し、発電事業者がそれぞれ個々に変動対策をするよりも、送電会社が全体で一括してまとめて対策を行う方が技術的にも容易で、全体コストが安上がりになるという理由から、「受益者負担の原則」へのルール転換が進んでいます。
マンションという共同住宅で、管理組合が行う建物設備の維持・管理においても「受益者負担の原則」が議論されることがあります。例えば、「屋上の防水処理は最上階の人が行う」「エレベーターの修理は、2階以上の人が行う」「駐車場の外灯取替やアスファルト舗装は駐車場契約者が行う」などといった考え方です。しかし、マンションの共用部分は区分所有者全員の財産であるという大前提があり、建物や敷地の維持・管理に必要な費用を区分所有者全体で負担するのが一般的です。共用部分に対する各区分所有者の利害損失は、建物全体に影響を及ぼすことの場合、ある程度それを無視することもやむをえないとする考え方が主流となっています。
受益者負担の原則を適用する際には、公平性と効率性のバランスが重要な課題となります。
公平性の観点からは、サービスを利用する人と利用しない人の間の負担の公平さが問題となります。全てのサービスを税金で賄うと、サービスを利用しない人も費用を負担することになり、不公平が生じる可能性があります。一方で、受益者負担を過度に強調すると、経済的に余裕のない人々がサービスを利用できなくなるという新たな不公平が生じる恐れもあります。
効率性の観点からは、受益者負担によって資源の最適配分が促進されるという利点があります。利用者が費用を負担することで、サービスの価値を認識し、必要なサービスを適切な量だけ利用するようになるため、資源の無駄遣いを防ぐことができます。また、サービス提供者側も、利用者のニーズに応じたサービス提供を行うインセンティブが生まれます。
しかし、全てのサービスに受益者負担の原則を適用することが適切とは限りません。特に、ナショナルミニマム(国民生活の最低限度)の達成に関わるサービスについては、受益者負担の原則を一律に適用することには慎重な検討が必要です。例えば、高齢者や障害者の活動支援施設の整備に対して、受益者負担の原則のみを適用することには問題があるという指摘もあります。
また、公共財の性質を持つサービスについては、フリーライダー問題(対価を支払わずにサービスを利用する人の存在)が生じる可能性があるため、受益者負担の原則の適用が難しい場合もあります。
受益者負担の原則を考える上で、利他的動機(他者の利益のために行動する動機)の存在も重要な要素となります。特に、高齢者や障害者向けの施設整備など、社会的弱者を支援するサービスについては、直接の受益者だけでなく、社会全体が間接的に便益を受けるという側面があります。
このような場合、健常者も含めて国民一人一人が施設整備に対して持つ支払意思額(Willingness To Pay: WTP)を把握することが重要になります。健常者は高齢者や障害者の活動を支援することに対して利他的な動機に基づく支払い意思や、ナショナルミニマムが整備されることに対する倫理的な支払い意思を持つ可能性があります。また、健常者自身が将来、そうした施設を利用する可能性があることに対しても支払い意思を有しうるのです。
しかし、家計が利他的動機に基づく支払い意思を持つ場合、利他的動機を含めて推計した便益には二重計算が生じる可能性があることが指摘されています。つまり、ある人の支払い意思額に、他者の便益に対する配慮が含まれている場合、その部分を単純に合計すると、便益を過大評価してしまう恐れがあるのです。
このような問題に対処するためには、家計の支払意思額を利己的動機と利他的動機に基づく部分に分解し、利他的動機に基づく支払意思額の二重計算を回避する方法を検討する必要があります。具体的には、CVM(仮想評価法)などの手法を用いて、利他的動機に基づく支払意思額を適切に計測する調査方法が研究されています。
利他的動機に基づく支払意思額の計測に関する研究
受益者負担の原則を適用する際には、このような利他的動機の存在も考慮に入れ、単純な費用負担の公平性だけでなく、社会全体の厚生を最大化するような制度設計を目指すことが重要です。
受益者負担の原則は、国や地域によってその適用のされ方に違いがあります。特に、公共サービスの提供における政府の役割や市場の位置づけに関する考え方の違いが、受益者負担の原則の適用範囲や程度に影響を与えています。
欧米諸国では、1980年代以降、新自由主義的な政策の影響もあり、公共サービスの提供においても市場原理を導入する動きが強まりました。これに伴い、受益者負担の原則が広く適用されるようになりました。例えば、イギリスのサッチャー政権下では、公営住宅の売却や公共交通機関の民営化など、公共サービスの市場化が進められました。
一方、北欧諸国では、高福祉・高負担の社会モデルの下、基礎的な公共サービスについては税金を財源として広く提供する傾向が強いです。しかし、近年では財政的な制約もあり、一部のサービスについては受益者負担を導入する動きも見られます。
日本においては、1990年代以降の長期的な経済停滞と財政赤字の拡大を背景に、公共サービスの効率化と受益者負担の適正化が進められてきました。特に、2000年代以降は、「小さな政府」を志向する政策の下、公共サービスの民営化や受益者負担の拡大が進められました。
最近の国際的な傾向としては、単純な「受益者負担か税負担か」という二項対立ではなく、サービスの性質や社会的影響を考慮した上で、適切な負担のあり方を模索する動きが見られます。例えば、基礎的なサービスについては広く税金を財源とし、付加的なサービスや特定の受益者に限定されるサービスについては受益者負担を適用するという、ハイブリッドな仕組みが採用されることが増えています。
また、環境問題への対応として、「汚染者負担の原則(Polluter Pays Principle: PPP)」が国際的に広く認知されるようになりました。これは、環境汚染を引き起こした者がその対策費用を負担すべきという考え方で、受益者負担の原則と対比される概念です。しかし、再生可能エネルギーの導入など、環境対策が長期的には社会全体に便益をもたらす場合には、「受益者負担の原則」の考え方が適用されることもあります。
再エネのコストは誰が負担するのか?――世界の潮流は「受益者負担の原則」
このように、受益者負担の原則は、各国の社会経済的な背景や政策方針によって、その適用のされ方に違いがあります。しかし、公共サービスの持続可能性と公平性を確保するという基本的な目的は共通しており、今後も社会の変化に応じて、適切な負担のあり方が模索されていくでしょう。
デジタル技術の発展と情報社会の進展に伴い、受益者負担の原則にも新たな課題が生じています。特に、デジタルコンテンツやオンラインサービスの普及は、「受益者」と「便益」の概念を複雑にしています。
例えば、学術論文情報の電子化が進んでいるにもかかわらず、情報の流通性は必ずしも向上していないという問題があります。情報発信の費用を専ら利用者が負担する現行の流通システムの中で、日本の図書館は購読するタイトル数を半減し、機関間での情報格差が拡大しているという指摘があります。一方、より自由な研究成果の流通を目指すオープンアクセスは、著者のみが費用を負担するという不合理性があるとも言われています。
イノベーション指向の学術情報流通システム
このような状況の中で、受益者負担の原則により忠実なビジネスモデルを模索する動きもあります。例えば、著者と利用者がそれぞれの受益に応じて費用を分担する仕組みや、第三者(広告主など)が費用を負担する代わりに別の形で便益を得るモデルなどが検討されています。
また、デジタルプラットフォームの台頭により、サービスの「無料化」が進む一方で、個人データの提供という形での間接的な「負担」が生じているという指摘もあります。Googleやfacebookなどの無料サービスは、利用者の個人データを収集・分析し、それを広告ターゲティングに活用することで収益を上げています。この場合、金銭的な負担はないものの、プライバシーという別の形での「コスト」が発生していると言えます。
さらに、デジタル技術の発展により、サービスの利用状況をより精緻に把握できるようになったことで、「使った分だけ支払う」という従量制の料金体系が技術的に可能になっています。例えば、自動車保険では走行距離に応じて保険料が変動する「テレマティクス保険」が登場しています。これは、受益者負担の原則をより厳密に適用する動きと言えるでしょう。
一方で、デジタルデバイドの問題も無視できません。デジタルサービスへのアクセスや利用能力に格差がある中で、受益者負担の原則を単純に適用すると、社会的弱者がサービスから排除される恐れがあります。特に、行政サービスのデジタル化が進む中で、この問題は重要性を増しています。
デジタル時代における受益者負担の原則の適用に当たっては、技術的な可能性と社会的な公平性のバランスを取りながら、新たなモデルを模索していく必要があるでしょう。