
権利濫用の禁止は、民法1条3項に「権利の濫用は、これを許さない」と定められている私法の基本原則です。この規定は一般条項として、具体的な定義や効果が明記されていない抽象的な規定となっています。
権利濫用とは、形式的には権利の範囲内として認められる行為を、社会通念上許容できない方法ですることを指します。これは権利の範囲外である「権利の逸脱」とは明確に区別される概念です。
権利濫用が認定された場合、当該権利行使は無効となり、当事者間において効力を失います。場合によっては、権利者が逆に不法行為責任を負うこともあります。
法形式濫用については、「私法上の形成可能性を異常または変則的(不自然)な態様で利用すること(濫用)によって、通常用いられる法形式とは異なる方法を選択する行為」として理解されています。
権利濫用の判断については、一切の事情が考慮される完全に個別具体的な判断となりますが、主な判断要素として以下が挙げられます:
具体的には、権利者個人の利益と義務者または社会全体に及ぼす害悪などを比較衡量して、権利濫用となるか否かが判断されます。
宇奈月温泉事件(大審院昭和10年10月5日判決)では、以下の要素が権利濫用の判断基準として示されました:
宇奈月温泉事件は権利濫用法理のリーディングケースとして位置づけられています。温泉の引湯管が他人所有地(約2坪)を通っていたところ、その土地を買い取った者が引湯管撤去を請求した事案で、大審院は所有権に基づく妨害排除請求を権利濫用として排斥しました。
商標権の分野では、以下のような権利濫用事例があります:
ADAMS事件(東京高裁平成15年7月16日判決)
海外で注目されている商標を便乗して不正な利益を得る目的で出願した事案で、「公正な商取引の秩序を乱し、国際信義に反する」として権利濫用が認定されました。
グレイブガーデン事件(東京地裁平成24年2月28日判決)
商標登録当時に使用意思がなく、登録後も実際に使用していない事案で、「濫用的な商標登録を排除する」観点から権利濫用が認定されました。
通行妨害の事例(昭和33年)では、先妻の長男が後妻を困惑させる目的で、自分には必要のない板垣を設置して通行を妨害した行為が権利濫用とされました。
FX取引においても権利濫用の概念は重要な意味を持ちます。ネット上のFX取引における為替レートの誤表示事例(東京高裁平成26年1月30日判決)では、取引業者による一方的なロスカットが権利の濫用として認定されました。
この判決では、以下の点が重要な争点となりました。
FX取引において法形式濫用・権利濫用が問題となる具体的なケース
金融商品取引法では、相場操縦や不公正取引として以下の行為が禁止されています:
企業や個人投資家が法形式濫用・権利濫用を避けるための対策として、以下の点が重要です。
取引業者側の対策
投資家側の注意点
権利濫用法理の適用は「特段の事情がある場合に限って謙抑的に用いるべき」とされており、実際に権利濫用が認定されるケースは全体数に占める割合はごくわずかです。
しかし、宇奈月温泉事件で示されたように、権利濫用法理は「必ずしも法律・契約が想定しない事態が発生した場合」に「紛争解決の具体的妥当性を柔軟に確保」する重要な機能を果たしています。
租税法の分野では、「当事者の選択した法形式が真実の法律関係とは異なる」場合の否認手段として、法形式濫用の概念が活用されています。これは税務上の取引においても、形式的な適法性だけでなく、実質的な妥当性が求められることを示しています。
現代の金融取引においては、技術の発達により新たな形態の権利濫用が生じる可能性があります。特にアルゴリズム取引やAIを活用した自動売買システムにおいては、従来の法理論では対応が困難な問題も予想されます。
このため、取引に関わる全ての当事者は、法形式濫用・権利濫用の基本概念を理解し、適正な取引の実現に向けて継続的な注意を払うことが求められています。法律の条文だけでなく、社会通念や倫理観に基づいた判断が重要であることを常に念頭に置くべきでしょう。