リスク中立確率と二項モデルによる資産価格付けの基本定理

リスク中立確率と二項モデルによる資産価格付けの基本定理

リスク中立確率と二項モデルの基本理論

リスク中立確率と二項モデルの基礎知識
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二項モデルの特徴

資産価格の変動を上昇・下降の二通りで表現するシンプルなモデル。複雑な市場も離散的な時間枠で近似できます。

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リスク中立確率の意味

投資家がリスクに対して中立的な世界での確率。実際の確率とは異なりますが、価格付けに不可欠です。

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資産価格付けへの応用

オプションなどのデリバティブ価格を理論的に算出する際の基礎となる考え方です。

リスク中立確率の定義と資産価格付けの基本定理

リスク中立確率とは、金融工学における重要な概念で、資産価格付けの基本定理の中核をなすものです。この確率は、投資家がリスクに対して中立的な世界での確率分布を表しています。実際の市場では投資家はリスク回避的であることが多いですが、リスク中立確率を用いることで価格付けが数学的に扱いやすくなります。
資産価格付けの基本定理は、市場に裁定取引の機会がないこと(無裁定条件)とリスク中立確率の存在が同値であることを示しています。つまり、市場が効率的であれば、必ずリスク中立確率が存在し、その確率測度のもとでの期待値計算によって資産価格を求めることができるのです。
第1基本定理では、「市場に裁定取引の機会がないことと、リスク中立確率測度が存在することは同値である」ことを示しています。これは数学的には、ハーン=バナッハの分離定理を用いて証明されます。無裁定市場では、初期費用0で実行可能なポートフォリオのペイオフからなる集合と裁定取引であるようなペイオフの集合が分離されるため、非負値の線形作用素(リスク中立確率測度)の存在が保証されるのです。
第2基本定理では、「市場の完備性とリスク中立確率の一意性が同値である」ことを示しています。市場が完備であるとは、あらゆる不確実性を金融資産のポートフォリオでヘッジできることを意味し、この場合リスク中立確率は一意に定まります。ブラック=ショールズモデルなどの基本的なモデルは完備市場を前提としています。

二項モデルにおけるリスク中立確率の計算方法

二項モデルは、資産価格が上昇または下降の二通りの動きしかしないと仮定する最もシンプルなモデルです。この単純さゆえに、リスク中立確率の概念を理解するのに最適です。
単期間二項モデルでは、現在の株価を$S_0$とし、次期の株価が上昇した場合を$S_u$、下降した場合を$S_d$とします。リスクフリーレートを$r$とすると、リスク中立確率$q$は以下の式で求められます。
q=(1+r)S0SdSuSdq = \frac{(1+r)S_0 - S_d}{S_u - S_d}q=Su−Sd(+r)S−Sd
この式は、リスク中立確率のもとでの株価の期待値が、リスクフリーレートで運用した場合の価格と等しくなるという条件から導かれます。つまり、$qS_u + (1-q)S_d = (1+r)S_0$が成り立つように$q$を求めるのです。
例えば、現在の株価が1,000円、1期後に60%の確率で1,200円、40%の確率で800円になり、リスクフリーレートが5%の場合を考えてみましょう。リスク中立確率は、
q=1,000×1.058001,200800=1,050800400=0.625q = \frac{1,000 \times 1.05 - 800}{1,200 - 800} = \frac{1,050 - 800}{400} = 0.625q=,−,×1.05−=,−=0.625
となります。注意すべきは、この計算では実際の上昇確率(60%)は使用せず、リスク中立確率(62.5%)を用いるという点です。
多期間の二項モデル(CRRモデル)では、各期間でのリスク中立確率が同じであると仮定し、二項分布を用いて最終的な資産価格の分布を計算します。

リスク中立確率を用いたオプション価格の算出例


リスク中立確率を用いたオプション価格の算出は、金融工学の実践的な応用例です。ここでは、単期間二項モデルでのヨーロピアン・コールオプションの価格算出を例に説明します。
コールオプションの満期時点でのペイオフは、$\max(S_T - K, 0)$で表されます。ここで$S_T$は満期時点の原資産価格、$K$は権利行使価格です。リスク中立確率$q$を用いると、現在のオプション価格$C_0$は以下の式で求められます。
C0=11+r[q×max(SuK,0)+(1q)×max(SdK,0)]C_0 = \frac{1}{1+r}[q \times \max(S_u - K, 0) + (1-q) \times \max(S_d - K, 0)]C=+r[q×max(Su−K,)+(−q)×max(Sd−K,)]
具体例として、原資産価格が800円、満期時点の原資産価格が上昇時880円、下降時720円、権利行使価格が846円のヨーロピアン・プット・オプションを考えてみましょう。リスクフリーレートが5%、リスク中立確率が75%の場合、プットオプションのプレミアムは以下のように計算されます。
プットオプションのペイオフは、上昇時$\max(K - S_u, 0) = \max(846 - 880, 0) = 0$、下降時$\max(K - S_d, 0) = \max(846 - 720, 0) = 126$です。
したがって、プットオプションの価格は、
P0=11.05[0.75×0+0.25×126]=31.51.05=30P_0 = \frac{1}{1.05}[0.75 \times 0 + 0.25 \times 126] = \frac{31.5}{1.05} = 30P=1.05[0.75×+0.25×]=1.0531.5=
このように、リスク中立確率を用いることで、オプションの理論価格を簡単に算出することができます。この方法は、より複雑なオプション(バリア・オプションやアジアン・オプションなど)の価格付けにも拡張可能です。

リスク中立確率と状態価格の関係性


リスク中立確率と状態価格(状態証券価格)は密接に関連しています。状態価格とは、特定の状態(シナリオ)が発生した場合にのみ1円を支払い、それ以外の状態では0円を支払う証券の現在価格を指します。
状態価格$\pi_s$とリスク中立確率$q_s$の関係は以下の式で表されます。
qs=(1+rf)πsq_s = (1+r_f)\pi_sqs=(+rf)πs
ここで$r_f$はリスクフリーレートです。この式は、リスク中立確率が状態証券の先渡価格に等しいことを示しています。
状態価格を用いると、任意の資産の価格は各状態でのペイオフと状態価格の積の総和として表現できます。
Z0=s=1SπsZsZ_0 = \sum_{s=1}^{S} \pi_s Z_sZ=∑s=SπsZs
ここで$Z_0$は資産の現在価格、$Z_s$は状態$s$でのペイオフです。
この式をリスク中立確率を用いて書き換えると、
Z0=11+rfs=1SqsZs=11+rfEQ[Z]Z_0 = \frac{1}{1+r_f} \sum_{s=1}^{S} q_s Z_s = \frac{1}{1+r_f} E^Q[Z]Z=+rf∑s=SqsZs=+rfEQ[Z]
となります。これは「リスク中立化法による資産価格公式」と呼ばれ、資産価格がリスク中立確率のもとでの期待値の割引現在価値として表されることを示しています。
状態価格とリスク中立確率の関係を理解することで、市場の価格付けメカニズムをより深く理解することができます。特に、状態価格は市場参加者が各状態をどのように評価しているかを直接反映するものであり、リスク選好や主観的確率の情報を含んでいます。

リスク中立確率の実務応用と非完備市場での課題


リスク中立確率の概念は、金融実務において広く応用されています。特にデリバティブの価格付けやリスク管理において重要な役割を果たしています。
実務での主な応用例として、以下のようなものがあります:






しかし、実際の市場は完備市場ではないことが多く、その場合リスク中立確率は一意に定まりません。これが非完備市場での価格付けの課題となります。
例えば、3つの異なる状態が存在するが、取引可能な証券が2つしかない場合、複製ポートフォリオを構築できないケースが生じます。このような非完備市場では、リスク中立確率が無限に存在し、それぞれの確率測度によって異なる価格が導出されます。
非完備市場での価格付けには、以下のようなアプローチがあります:





これらのアプローチは、実務でのデリバティブ価格付けにおいて重要な役割を果たしています。特に、エキゾチックオプションのような複雑な金融商品の価格付けには、非完備市場での理論が欠かせません。
リスク中立確率の理論は、金融工学の基礎をなす重要な概念であり、その理解は金融市場での価格形成メカニズムを理解する上で不可欠です。理論的な美しさと実務的な有用性を兼ね備えた概念として、今後も金融工学の発展に貢献し続けるでしょう。
京都大学の確率論と数理ファイナンスに関する資料では、リスク中立確率がマルチンゲール測度として解釈できることが詳しく解説されています。
京都大学 確率論と数理ファイナンス

また、資産価格付けの基本定理についてより詳しく知りたい方は、日本オペレーションズ・リサーチ学会の資料が参考になります。
資産価格付けの基本定理 - 日本オペレーションズ・リサーチ学会