

早期離床を徹底しても、術後72時間以内に深部静脈血栓症(DVT)が発症するリスクはゼロにはなりません。
術後に血栓が生じるメカニズムを理解するには、19世紀にドイツの病理学者ルドルフ・フィルヒョウ(Rudolf Virchow)が提唱した「Virchowの三徴(Virchow's triad)」を押さえることが基本です。この概念は150年以上前に提唱されたにもかかわらず、現在の血栓症教育でも最前線で使われています。
三徴の内容は以下の通りです。
この3つの要素は単独でも血栓リスクを高めますが、外科手術という状況はこの3要素すべてを同時に引き起こします。つまり、手術そのものが血栓形成の「完璧な嵐」を作り出すわけです。
特に注目すべき点として、術中・術後の炎症反応によりトロンボキサンA₂やPAI-1(プラスミノーゲン活性化因子インヒビター-1)が増加し、線溶系が抑制されることで、形成された血栓が溶けにくくなります。これが血栓症です。
参考:日本血栓止血学会の血栓症に関する教育資料
日本血栓止血学会 公式サイト
深部静脈血栓症(DVT)の発生部位として下肢、とりわけ腓腹部(ふくらはぎ)から大腿部にかけての静脈が圧倒的に多いのには、明確な解剖学的理由があります。
下肢静脈、特に膝窩静脈から大腿静脈にかけては弁(バルサルバ洞)が多く、血流が停滞しやすい構造を持っています。健常人でも立位・座位では下肢静脈の血流速度は臥位の約40〜60%まで低下するとされており、術後の安静臥床と麻酔による筋弛緩が重なると、腓腹部の「筋ポンプ」機能がほぼ失われます。
これが基本です。
筋ポンプとは、歩行時にふくらはぎの筋肉が収縮・弛緩を繰り返すことで静脈血を心臓方向へ押し上げる仕組みです。この機能が停止すると、血液は弁のある袋状の静脈洞(ヒラメ筋静脈叢など)に溜まり始め、そこが最初の血栓形成部位になります。
また、腹腔内手術では左総腸骨静脈が右総腸骨動脈に圧迫される「May-Thurner症候群」的な解剖学的素因が血栓リスクを高める場合があります。意外ですね。これは健常人口の約22〜32%に認められる解剖学的変異であり、術後に左下肢優位のDVTが生じやすい患者背景の一つとして意識しておく価値があります。
参考:Capriniスコアに基づくリスク分類の詳細(英文ガイドライン)
術後の血栓リスクは一律ではありません。患者の背景、手術の種類、術後の経過によって大きく変動します。
現在、臨床現場で最も広く使用されているリスク評価ツールが「Capriniスコア」です。このスコアは40以上の独立したリスク因子に点数をつけ、合計点でリスク層別化を行うものです。
特に見落とされがちなのは、過去の血栓症既往・悪性腫瘍・肥満(BMI≥25)・長時間手術(45分以上) の組み合わせです。これらは個別に見ると「ありふれたリスク因子」ですが、Capriniスコアでは各1〜3点が加算され、気づかないうちに高リスク群に分類されていることがあります。
悪性腫瘍患者の術後DVTリスクは非腫瘍患者の約4〜6倍とされており、化学療法や抗VEGF製剤(ベバシズマブなど)の使用でさらに1.5〜2倍のリスク上乗せが報告されています。これは使えそうです。
また見落とされがちな項目として、静脈瘤(下肢静脈瘤)は患者の自己申告がないと見逃されることがあり、Capriniスコアでは1点加算されます。術前の問診票にこの項目が明示されているかどうかを一度確認してみる価値があります。
「抗凝固薬を使えば大丈夫」という認識は、現場では広く持たれています。しかしこれは正確ではありません。
薬物療法(主に低分子ヘパリン:LMWH)は確かに術後DVTの相対リスクを約50〜60%低減しますが、それでも一定割合のDVTは発症します。なぜかというと、薬物療法は主に「凝固能亢進」に作用するものの、「血流停滞」そのものには直接作用しないからです。
つまり、凝固カスケードを抑えても、血流が止まっていれば血栓のリネッドは整い続けるということです。
これを補うために機械的予防法(弾性ストッキングや間歇的空気圧迫法:IPC/フットポンプ)が組み合わせて使用されます。各手法の機序は以下の通りです。
日本循環器学会の「肺血栓塞栓症および深部静脈血栓症の診断、治療、予防に関するガイドライン(2017年改訂版)」では、高リスク患者に対して薬物的予防と機械的予防の併用が推奨されています。
参考:日本循環器学会 肺血栓塞栓症・深部静脈血栓症ガイドライン
JCS2017 ガイドライン PDF(日本循環器学会)
ここが多くの医療従事者が直感に反すると感じるポイントです。
整形外科の大手術(人工膝関節置換術・人工股関節置換術)後の無症候性DVTの発症率は、抗凝固薬予防なしの場合、報告によっては40〜60%に達します。つまり、「足が腫れていない・痛くないからDVTではない」という臨床判断は、半数近くの患者で誤りになる可能性があります。
症状がないということですね。それが最大の落とし穴です。
無症候性DVTが問題になる理由は、以下の通りです。
このことから、特に高リスク群(Capriniスコア5点以上・悪性腫瘍・大整形手術後)では、症状の有無にかかわらず術後の系統的スクリーニング超音波検査の実施を検討することが、エビデンスに基づいた対応と言えます。
また、D-ダイマー値に関しても注意が必要です。術後はD-ダイマーが生理的に上昇するため、「D-ダイマーが高い=血栓あり」という解釈は術後早期(術後2〜3日以内)においては信頼性が低下します。D-ダイマーの術後における診断カットオフ値は術前・一般人口向けの0.5 µg/mLではなく、より高い閾値(施設によっては1.0〜2.0 µg/mL)を用いることが実際に求められます。
D-ダイマーだけに頼らないことが原則です。
参考:静脈血栓塞栓症の診断と治療に関する最新のエビデンス(国立循環器病研究センター)
国立循環器病研究センター 公式サイト