
マーケット・ニュートラル戦略は、インデックスの動きに対してニュートラル(中立)となるようなポジションを持つ投資戦略のことです。この戦略は、株式市場全体の変動による影響を極力排除して、購入した銘柄固有の事情が株価に与える影響だけを考えて運用できるようにすることをコンセプトとしています。
基本的な仕組みとして、株式を買い付けると同時に、その購入額と同額だけ株式市場を売却するという手法が用いられます。しかし株式市場をまるごと売却するのは困難なため、TOPIXや日経平均株価等の株価指数先物を利用して市場全体の値動きを表現し、この指数先物を売り建てることで市場リスクを中立化させます。
この戦略では、β値(市場全体の価格変動の影響)をゼロにし、α値(個別銘柄固有の価格変動)のみから収益を上げることを目指します。つまり、市場がどちらに動いても個別銘柄の選択能力だけで利益を追求する手法なのです。
実際の運用方法として、代表的な株式ロング・ショート戦略では、複数銘柄のロングとショートを組み合わせ、株式相場の変動による影響を極力受けないよう、市場平均指数に対する連動性を示すベータ値をゼロにします。
例えば、割安と判断される銘柄を買い持ちし、それと同額の割高と判断される銘柄を売り持ちすることで投資比率をゼロになるようにし、中立を保ちます。また、株式購入と同時に株式購入額相当分の株価指数先物を売り建てる手法も一般的です。
具体例として、50万円でトヨタ株式等を購入し、同額の50万円でTOPIX先物を売り建てたケースを考えます。株価が上昇して購入株式が+10%上昇し55万円となった一方で、TOPIXが+8%の上昇となった場合、先物では4万円の損失が発生しますが、全体では1万円の利益となります。
この戦略の最大のメリットは、市場全体の価格変動の影響を受けないことです。買い(ロング)と売り(ショート)を同じ金額行うことで市場全体の価格変動の影響から中立になるため、市場全体の価格が下落した場合でも利益を得られる可能性があります。
リスク面でも大きなメリットがあります。買いと売りを同じ金額行うため、買いと売りで価格変動が一部相殺され価格変動の影響が緩やかとなり、リスクが小さくなります。株式市場全体が大きく変動していても、個別銘柄固有の価格変動の影響のみが残るため、相対的にリスクが小さくなりやすいのです。
また、市場全体の動きが悪い場合でも利益を上げられる可能性があるため、個別銘柄が割安か割高かということを分析するだけで良くなり、市場全体の動向を予測する必要がなくなります。これにより、銘柄選択能力に特化した運用が可能となります。
一方でデメリットも存在します。最も大きな問題は、リスクが抑えられる分だけ利益も少なくなりやすいことです。この戦略は大きな儲けを狙うというよりもリスクを抑える戦略であるため、大きく稼ぎたい場合にはあまり向いていません。
市場全体が値上がりした場合でも利益にならず、利益を得る機会を逃してしまうこともあります。また、価格変動リスクを抑えるため、儲けが出る場合でも少なくなりやすく、儲けに対して売買手数料などのコストの負担が相対的に大きくなります。
実際の運用においても課題があります。実際にマーケットニュートラル戦略を採用している投資信託の中には、「現物株式ポートフォリオの騰落率がTOPIX先物の騰落率を下回ったため、基準価額がマイナス」となるケースもあります。理論やコンセプトは良くても、実際に運用するとマーケットニュートラル投資戦略でも収益が出ないこともあるのが現実です。
近年、AIとビッグデータを活用したマーケット・ニュートラル戦略の進化が注目されています。LSTMニューラルネットワークを用いた株価予測により、株式選択の精度を向上させる試みがS&P500の消費財セクターで実証されており、従来の主観的な銘柄選択から客観的なデータドリブンなアプローチへの転換が進んでいます。
また、高頻度取引(HFT)との組み合わせも発展しています。マーケットニュートラル戦略は、市場全体の方向性リスクをヘッジしつつ、個別銘柄間の相対的なパフォーマンス差から収益を得る戦略として、高速取引技術と組み合わせることで、より効率的な運用が可能となっています。
さらに、債券マーケットニュートラル取引など、株式以外の分野への応用も拡大しています。価格上昇・下落といった相場の「方向」に関係なく安定的収益を狙う投資手法として、様々な金融商品に適用範囲が広がっており、今後はETFを利用した個人投資家向けの簡便な実装方法も期待されています。
成功の鍵は究極的に運用者の「購入する銘柄の目利き力」にあり、その目利き力をいかにデータサイエンスや先進技術で補完するかが、この戦略の進化の方向性となるでしょう。